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最近の悩み

私のかなりガチな悩みの話。
それを人に読める状態に加工してここにクドクドと書いておこうと思う。

お話を書く
絵を描く
歌を書く

実はどれも好きで、かじってはきた。

若い頃はどれを目指そうか、と悩んだくらいにどれも好きだった。 
やりたいことだらけだった。

だけど最近は
新たにゼロから物を生み出す情熱が、作り切るだけの情熱が、ない。

それは私自身の強く伝えたい思い(メッセージ)が失われたからだった。

誰かの思い──
例えば
誰かが書いたお話を演じるとか
誰かの作った歌や曲を奏でること
仕上がり図通りに工作を組み立てる
みたいに
誰かの作ったものをなぞり、解釈を加えて掘り下げるような関わり方はできる。

そういう探究心は変わらずにある。
が。

そもそもこだわりだとか強い思い自体が失せてしまって気持ちが中庸なところにある──ある意味諦めの境地のような──そういうのが原因なのだろう。

昔のように誰か何かを全力で推すような恋心にも似た「大好き」「ときめき」も中々自分の中では発動しづらい。
それがあれば中二病よろしく萌え心だけで突っ走って作ることも可能だ。

オタクを名乗るのが申し訳ないくらいに
昔ほどにはオタクではなくなってしまった。

今リアルタイムに、ということだったら
一番夢中になっているのは王様戦隊キングオージャーだろうか。
あれは確かに推している。
久々の推しだ。

それと
私に出演を依頼してくださり、お受けしている方々のオリジナル作品は素敵なものばかりだ。
過去の文豪たちによる文学作品も然り。

好きという前へ前へな気持ちと反対ベクトルになるが
「私を理解して欲しい」という渇望も
もう昔ほどには尖っていないなぁと思う。

若い頃は「お願い、私を理解して」という気持ちだけで生きていた。

それが……たぶん今、そこまで主張する気がないのは
理解者がいるからとかそういうわけでもなくて
大抵のことは自力で言えるようになってしまった、という弊害なのだと思う。
役者修行のお陰で自分が自覚した自分の気持ちの大半は自分の口で言えるようになってしまった。
たとえそれがどんなに言いづらい内容であっても。

直接言えない気持ちを込める──それが創作の源泉だと思う。
それが個人的なことか?社会に向けたことか?というのはたぶんどちらでもよい。
自分が心を動かされていることならばどちらも同じだ。

例えば
歌を書いていた頃の私は
もう二度と会うことはないだろう人に向けて
その頃、感じていたことや
言えなかった、あるいは言いそびれた言葉を綴っていた。
そうやって過去の心を癒やすために投影していた。
単なる私信だったと言っていい。

お話を書いていた頃は中二病延長戦的に自分の推す「趣味」をひたすら詰め込み……
それはキャラだったり世界観だったりシュチュエーションや台詞だったりもしたけれど

そんなことをしつつ完成させた話のいくつかには
口に出せなかった気持ちを設定に込めたものもあった。

私の中で役柄を演じる役者というものは
数ある表現ジャンルの中では一番得意なことらしい。

だけどだからって好きで得意なことばかりに逃げて
私が今まで半端に投げ出してきたことを放置したままでは
偉そうにああだこうだ言って許されるものでもないと思う。

それは技術面努力も然り。
(これに関しては演技だって足りなすぎるが。)

書きたいこと
ネタや取り組みたいこと
表現してみたい気持ち
……はある。

だけどいまいち動けない。

これを描きたいんじゃぁぁ!!!ってアレがない。
来ない。
来ないんすよ!

スランプなんてレベルじゃない
そもそものモチベがマイナスだからだ。
書けていた時代だって自慢じゃないがそれと比較してスランプなの、と言えるほど書いちゃいない。
要するに経験が絶対的に不足しているのだ。

ただわかるんだな。
この先の私には必要なんだろうなって。

これ、皆で作りましょうよ

周囲から言わせるような作品を
書いて創る必要がある、気がする──たぶん。

人生的に心理的に
大きな壁にぶち当たってしまった私の
この先を生きるためには
必要なんだと思う。
なんとなくそう思っているだけだけど。

そうしたら過去も未来も安泰だ。
その為の今を早くどうにかしなければならない。

体を壊す前に早くなんとかしないと。

この悩みを
誰かのせいにできたらどんなに良かったろう。
誰かをあてにできたらどんなに良かったろう。

さて
これから
どうしていこうかな。

嫌いなことなら一杯あるのにね。
ただのワガママばかりだ。

とはいえ
孤独な戦いは寂しいな。

早く皆で作れるようになりたい。
心を整えなきゃ
人を拒み続けてしまう。

必要な人のことも。

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