見出し画像

私の中の私のイメージ

※東日本大震災、当時の私の話を含みます。
※ただしメインは地震の話ではありません。

能登の大地震に心をいためています。
取り急ぎ募金で支援するくらいしかできないけれど。
落ち着かなくて送金はした。早々に。

さて
あの東日本大震災の時、
私は都内に住んでいて
そこそこ大きな地震に大地震が来た!と思ったら
ここじゃなくて東北の地震で
とんでもない大津波に驚き。
異常な空気にあてられ
少なからず心に傷が残った。

医療事務員時代。
仕事中で、高齢の患者さんが一人待合室にいるタイミングだった。
彼女はぺたんと床に腰を落としてやり過ごしていて、その適応力にすごいなと思った。
私はドアを開けて対応した。

早上がりしていいと言われ
帰ろうとした時に、
すべての交通機関が麻痺していることを知り
たまたま道を知っていたので徒歩で自宅まで帰宅した。
小1時間くらいかかった。

その途中で父と当時まだ交流にあった元旦那から安否確認のメールが多少の遅延はあれどなんとかかろうじて届いた。

家に帰ってしばらくして都内に勤めていた親しい友人が帰宅難民になっていることを知った。
家は都外だ。
私の家はルートの途中。

彼女は家まで帰れそうになかったがかろうじて私の最寄り駅までは来られそうだった。
ウチに泊めることにして、駅に迎えに行った。

必要なものをコンビニで買おうとしてコンビニに寄る。
食べ物の棚は空だった。
と、その時に若い女の子に助けを求められた。

「誰かに付きまとわれていて怖いんです」

警察も混乱しているだろうこんな時に通報するのも得策ではないように思われた。
彼女の家は私同様に駅の側だったが帰宅して家を知られて一人でいる時になにかあったら大変だわ、と私の家に招いた。

反対方向に歩いていき、振り返って追跡されていないことを確認してから3人で私の家に行った。

実家は千葉だか茨城だかで
大学に通うためにここに住んでいた彼女は家族や友人と連絡が取れず朝方まで不安で
ずっとすすり泣いていた。

早朝、私は自宅に帰りたいという彼女に付き添って彼女のアパートまで送った。
摂食障害があると言っていた。
心配だったが深入りもできない感じだった。
安否を問うたメールへの返信もかなり遅かったし、
後でポストにでも入れて返してねと言った単3のエネループは借りパクされた。
でも、そんなことはどうでもいい。
もう関わりたくなかったのだろう。
その気持ちもわかる。

こんな夜を覚えていたくなんかないよ。
誰だって。
それに別に恩を返してほしくて助けたわけでもなかった。

そこからしばらくは世の中の空気が殺伐としていた。
携帯(まだガラケーを使っていた)を見ながら歩いているだけですれ違ったおっさんに怒鳴られた。
みんなピリピリしていた。

そして
ここからは全く別の話になる。

あの頃に、私の中に芽生えた自分のイメージがある。
何があっても生き残ってしまいそうなタイプだなって。
ピンチになればなるほど冷静にどう行動すればよいのかわかってしまう、そういう特性を私は持っていると改めて自覚した。

昔からまずい状況になればなるほど「やるべきこと」が「見える」瞬間があると感じてきた。

それでふと頭に浮かんだのが
瓦礫の山の上にたった一人で立って
どこか遠くを見つめている自分の姿。
どこかSF的でアニメや映画にでも出てきそうなそのシーンが
どうしても頭に浮かぶのだった。

今回の地震でまたそのビジョンが
頭から離れない。

だからどうということもない。
なんのオチもない。
建設的な意見もない。
ただそれだけの話。
思い出しただけ。

前世の姿だったりするんだろうか。
なんてね。

なんなんだろうね、これ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?