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伝わらなかった情熱

公演を終えて、
かなりマルチに力を注いじゃったものだから燃えつき気味……のところ。

突然、思い出したことがある。

「演劇って、総合芸術だと思うんです!」

ふと脳裏に
昔の、私の
──声がした。

高3の年の2月14日。
その日はバレンタイン……どころか
私にとっては
本命の、とある演劇科のある大学入試当日であった。

前に別記事でも語ったことがあるけれども
高校では演劇部が廃れていたため諦めていて
部活と別に放送委員会顧問の先生のご厚意で朗読による大会に青春をかけていたが。

いい加減、ちゃんと演劇をしたくて
某大劇団に書類を送るも
何のトレーニングをしていた訳でもない私が
養成科であっても通る訳もなく。
(完全に記念応募であった。)

大学に進学するんだったら演劇科にしようと思っていた。

そこは学科試験と実技試験(朗読)があったので
某大会で一応、朗読の優勝経験もあったし
あわよくばと思っていた。
一応、いわゆる学校の勉強もどちらかといえばできる方だったし。

しかし、それまで一度もオーディションのような場所に出向いたことが無かった私は……
ウォーミングアップ兼、練習の為のお部屋で声出しをする時に他の受験者達の空気にすっかり飲まれてしまった。
うわぁ、こんな感じ?とまず面食らって。
生まれて初めての感じ、プレッシャー。

朗読の実技試験は3部屋あって
受験生は案内されたところに待機をする。

私は真ん中のお部屋だった。

しかし…左右のお部屋はコンスタントに人の出入りがあるのに
私の並んでいる真ん中の部屋だけ進みが遅かった。

嫌な予感がした。

自分の番が来た時。
課題の文章の朗読と別に試験官の先生が聞いてきた。

「どうして演劇をしたいのですか」

厳密な言葉は忘れたけれどそういう感じの言葉を。
そこで悟った。
あ、この方は朗読(を通して)ではなく(ダイレクトに)私達自身を面接する気だったんだ、と。

当然面接の用意などしているはずもなく。
焦って言葉をひねり出した。

それが冒頭に書いた
「演劇って、総合芸術だと思うんです!」
という言葉。

実はそれは私がずっと思ってきたことで
間違いなかったのだが
それに付随する補足説明をしなければ
その裏にある私の思いをわかってもらえるはずがなかったのだ。

整理しきれていない思いをきちんと説明しきることはできなくて。
悔しい思いのまま、私は会場を後にして
「ああ、落ちたな」と確信していた。

実際、実技のせいなのか普通に学科のせいなのかはわからないけれど私は不合格だった。

滑り止めのその大学の系列短大は受かったけれど、そこに進学して編入してやろうという気はもう失せていた。
(ってそれを書いてしまったらどこを受験したのかがバレそうだけど。)

それでもう1つやりたかったデザインの道へ進み、専門学校でCGを学んだのである。
高校の先生には専門学校になんか行くな、と止められたのを振り切って。

私は子供の頃から表現をすること全般が好きだった。
とりわけ好きだったのは演じることだけれど
絵を書いたり
工作をしたり
文章を書いたり
踊ったり
音楽に関わることも

何でも好きだった。
多少の得手不得手はもちろんあるんだけれど。

それらすべての要素を1つの作品に収めているのがお芝居だ、と思ったから
演劇には私がやりたいことが詰まってて
役者としての資質がもしも不足していたとしても
何かの形で携われるだろうし
きっと私はお芝居から離れられない──そう思っていた。
ずっと。

もしもあの時に
そういう「私」をわかってもらえるように説明できていたのなら
その試験官(教授だか誰だか)にも気に入ってもらえたのかもしれない。

でもあの頃の私は自分の気持ちを言葉にすることなど
下手くそも下手くそだった。

やっと絞り出した
「演劇って、総合芸術だと思うんです!」
だけでは
何も伝わらなかったのである。

普段のお芝居でもそう。
気持ちだけあっても
その気持がどんなに純粋であろうとも。

きちんと表現できなければ
思いは相手に伝わらないのだ。

劇のお客様だろうと
試験の面接官だろうと
日常生活で関わる「その人」だろうと。

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