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執着の周期

ヘッダーは先日なぜか真横に吸着していたオトシンくん。
温度計とクロス作っていたのがカワイイ。
見た時に大笑いした。

さて
マルとお別れをして月をお迎えしてから3か月が経ちました。
というより来月の頭には4か月になるところ。
悲しみは癒えて、月くんカワイイ😍と親バカ(定期)発言が出るくらいになっています。
一方の月の方でも、
はじめは飼い主が笑ってしまうくらいに人見知りでビビリだったのに
今では
水槽を覗けばツツーッと寄ってくるしシッポをブンブン振って餌をねだるし
慣れた段階からさらに進んですっかり懐いています。

3日、1週間、2週間、3週間、
1か月、3か月、半年、
1年、3年、5年、10年、
…20年、30年
半世紀…は私自身がまだそこまで生きてはいないからわからないけれど。

ある一つの執着が終わりを迎えるのに
私は平均すると3年程度かかるようです。
ここでいう執着というのは
「心の傷」だったり「推し」の存在だったり
玉石混交であるけれどとにかく1つの感情にとらわれている状況を言います。
傷ついて苦しかったり悲しかったり嬉しかったり楽しかったり
良くないなと思うことに流され続けていたり。
熱心に何かの修行に励んだり。

あと私の場合、1つの状況に飽きてしまうのが大体3年っぽい(笑)
何かを我慢をしている場合に耐えられる時間もそのくらいの時間。

それ以上、続くものに関しては
記憶のリフレインを繰り返して新しいものとして更新し続けている場合か根性、だと思う。

私の中で一番長かったのは30年モノだろうか。
実家に対する恨みつらみでしたが。

次が20年。
だけどこれに関しては5年刻みで変化していたしその5年間というのはそれぞれ3年で限界を自覚したのを粘って2年分を延ばしてきたようなもの。

結婚・離婚よりも私にとっては大きな「再出発」をしてから6年が経つ。
「よみねこ」として人前に立つようになってからは丸3年。
今度の4月には実家に戻ってきてもう3年になってしまう。

父が亡くなってからは1年とちょっと。

父を介護した1年余りは壮絶で大変ではあったけれど亡くなっことの喪失感も含めて
なんとウエイトが軽いことか、と私は今でも首を傾げる。
確かに大変だったし、今も実家で母と暮らすことは正直ストレスである。
実家に決して戻らないと決めて家を出たのに。
それでもなお
家族の問題は私の中ではどうでもいいままだ。
放置できないし、しないけれど
私の足かせ、扱いである。
生活の上では何よりも大切に優先しているのに
それとは裏腹に心の優先順位は実はとても低い。

大切って何?
愛って何?
感謝って何?

それにしてもここにきて3年を超えるかと思われていた苦しい執着が消えかけている気がする。
苦しさのあまりにそれを消化させようとあがいている最中のはずだった。
手放せるならさっさと手放したい苦しみだったからそれはそれで構わないのだけど
何でまた急にそうなったのかしらと不思議だ。

やはり単に時が来たのかもしれない。
次の新しいどこかに行くべき時なのかもしれない。

その予感は今年の間中ずっとあって
何度も状況を変えようとしたり
何かを制限したり止めてみたり
新しい場所に顔を出しまくったり
自らも動いてもみたけれど
どれもカラ回っていた。

どうせもう「役者活動を辞める」とは言わないし
言っても必ず戻ってくるのもわかっている。
なのでそれをする気は毛頭ない。

だからこの場にとどまったまま
少しずつ新しいフェーズへと移行していくしかなかろう。

きっとただ単純に求めることが変わるだけだ。
ううん、もしかしたら
もう求めることそのものをやめるのかもしれない。
わからないけど。

苦しくなければどうでもいい。
執着は苦しいから
それがないならないにこしたことはない。

だけど
「期待しなければ裏切られない」理論に近いそれで
心の平和というものが真に得られるのかどうか?は
まだ、わからない。

夢を見るのを諦めたら
おしまいな気もしている。

夢を見れば何かを望めは
どうしても執着は生まれる。

キングオージャーにハマればグッズが欲しいと思うように。
好きすぎてウクレレで主題歌を練習してみたり(笑)

ああ、そうだ。
ウクレレを始めた話もまだnoteの方ではしていなかったですね。
それもまた今度。

他SNSをご覧の方ならご存知でしょうが
今、宛もないままに台本を書いています。
たぶん1回書き終えても何度も書き直すことになると思う。
なぜなら対象メディアをまだ悩んでいるから。
本当なら小説にすべきところ
あるいは映像と相性が良そうなところ
もしそうでなく朗読劇や演劇にするならば、かなり工夫が必要になる。
とりあえず
映像制作を手伝ってくれる人がいるのかどうかとか予算とか全部丸投げにした上で考えると映像が良さそうなストーリーなので
なんとなく映像寄りのシナリオで書き始めている。
第一稿は朗読劇を目指してみたけれどやはり難しくて保留。
今日から書き出しの第三稿目に手を付けようかな、というところ。
最適な書き出しは最低10案は出して検討するのが良いらしいと物の本にあったので
まだまだ書き直せるね(笑)と言いつつ。

それこそ、執念がものすごい
執着の塊みたいな登場人物たちばかりが集まっているお話を書こうとしているのでした。

私の中の病的な執着が弱まっているこの状態で
このまま書いていけるのかは謎だ。

むしろ「当事者」のような感情で書かない方が客観視できて面白くなるような気はするけれど。

それにしても

私は一体何をしたいのか?──いや、何も。
かろうじて心に浮かぶことをしぶしぶやってみているけれど
どれも自分の要求のようでいて
全然違うような気もする。

存在がある内は何もしないわけにはいかないから。
仕方ない、少しは頑張ってみようか。

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