見出し画像

ふりかえり

「世の中がどうでもいいもののように思える。憂鬱の美しさ、切なさ、電灯が規則正しく並んでいることなど、どうでもよいのだ。
世の中は下水の通る道のようだ。汚れきって、人が--していて……。
とにかく私は生きるのが苦しい。世の便利さには、驚かされるし、深海には憧れるが。」
2017年の自分の日記を読んでいた。上記はその一部になる。読み取れない箇所もあったが。

今も日記を書くことはやめていないが、こうして改めて読むと
あった出来事を淡々と並べてある日記よりも、あった出来事にその時どう思ったのかや、心情について描かれている方が読み応えを感じる。
そういう所でいうと、最近はあった出来事の羅列でしかない日記を書いているし、そもそも何かしらに大して大きく感情を動かされる経験が減ってしまったようにすら感じるので、寂しいものだと思う。

それにしても、過去の自分は感情の振れ幅が大きすぎる。
コンビニのコピー機でパニックを起こしかけたりなど、今では到底考えられないなあと懐かしく思う。
元気な日の翌日にはなぜかどん底にいるような……、1か6かしかないサイコロを振っているような人生だ。
こんなのでよく生きていられたなと思ったら、案の定、腹痛が頻繁に起きたり、ひどい眠気に悩まされたり、自殺未遂をしていたり、自分にはお酒しか(頼れるものは)いないと言っていたり、自分のことながら心配になる。
今ではそんなことは殆どないが、これくらいの振れ幅がないと、私はうまく創作できない人間なのかもしれない。そんなことはないか。

2017年の日記を読んでいると、帰りが遅くなった雨の日に
電車の中から見た、信号機や車などのありとあらゆる光が、窓を流れゆく雨水や水たまりに反射してゆらめいていた景色を思い出す。
あの景色は、ゆううつで、嫌いじゃなかった。
けれど、今年は多少は陽の光の当たっていそうな日々を送れたら良いなと思う。

日記を書くことや、それを後から読み返すことは面白い。まったく別の人間が書いたもののような錯覚に陥る。
残念ながらもっと昔の日記は捨ててしまったけれど……。
何にせよ、日記を書くことはおすすめです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?