現実と祈り

絵は自分にとって諦めようとしても諦められないもののようだ。
しかし、いくら見えぬものを追ったところで、それは見えないのだから追いつかない。
風の噂程度の希望をどこかで願い続けても良いのは、物語の中の主人公だけだ。いや、主人公というのはとても恵まれているもので、大多数は希望に満ち溢れた風の噂が、絶望に変わって落ちてくる。
それでもたった一度の人生で、願わずにはいられず、そう言ってしまう私は大ばか者なのだろう。

きっと、年数が経って、自分の阿呆具合に涙を流すに違いない。

2017年11月14日、当時から約1年前(2016年頃だろうか。)まで描いていた漫画を投稿し、そこからしばらく小さな漫画を色々と投稿していた。
11月14日に投稿した少し長めの漫画は、今読むとやはりちぐはぐな感もあって、
今ではしっかり面白いとは言えないが、当時はこれを描かずにはいられなかった。初めて、自分の中に芽生えたキャラクターだったからだ。

漫画を投稿した結果としては、編集者さまにみて頂くことができて、昨年11月下旬~12月ごろから今に至るまでネームは12本、実際は少ないページ数のものもあるのでこれより少ないと思うが、約192ページくらい描いていたようだ。
基本的なところは少しずつ理解し始めて、一番最近描いたネームは本当に自分の中ではよく描けているように思う。
(実際、良く描けた方は何も言われず、褒めていただけて嬉しかった。)

自分の中にあるトラウマだったり、希望だったりを描く、また、思いついたという時点で、何となくネームは血肉を分けて描いているような錯覚に陥ることがしばしばある。
本当はもっといろんな話も描きたいし、いい出来で描けたものは、早く読んでくれる皆さんにお届けしたい気持ちでいっぱいなのだが、全没を繰り返すと、描くことに対して、気付かないうちに心が怯えるようになったようだ。
もちろん、下手で没になるのはわかっているし、
誤解のないように言うが、編集者さんのことは尊敬もしている。

しかし、精神的に脆いというのは本当に損である。
もう少し良いと思ったことには頑固でいてもいいのかもしれないし、
また、一番良いネームもあまり筆が進まないまま描いたので、
質がこの「怯え」で下がることはあまり無いのだろうが……、それでも今までと違う感覚に、動揺を隠せない。

この間Twitterで少し言ってしまったが、名前で発表する前に誰かに見せると言うのは、本当に怖い。私自身が人と距離をとってしまうこともそうだが、若干病的なまでに他者に対する警戒心が湧くことがある。
誰かを信用しきらないというのは、リスク回避の為に重要な事かもしれないが、無用な心配にまで至るとただただ心労を重ねるだけだ。
例えば、PCにデータを置いておくことすら怖い事があるが、そんなこと、本来過剰には気にしなくていい。

ただ上記のような若干病的であったり、漫画に対して筆が進まない……こんな状態でも1つ良いことがある。
規模はともかく、イラストが結構捗るのだ。

私は時々、祈りの絵を描く。合格祈願とかそういうのではなく、生活苦や精神的疲労から逃れたい時、何かにすがりたい時、なんとなく浮かぶ。
3枚目は描いていて宗教画だ……と思ったが、宗教画は別に救われたくて描くわけではないようだ。

他者からの評価はさて置き、私はこの祈りの絵が好きだ。
心に根差していて、手を組んでお祈りをしたくなる。私が絵を描いていて最も救われるとしたら、(今のところ)この祈りの絵がいてくれることだろう。
この絵で飯が食えるわけではないのだが、何となく幸せなのだから不思議だ。

自分が味わう、この「救い」「祈り」の感覚を、見て頂ける誰かに伝えられるようになったら。
私はいろんな人に幸せになってほしいと思うが、私がこの絵に抱く幸せを、
第三者が私の絵で感じることができたら、それはものすごいなのではないだろうか。

イラストでそれを成せるかはわからない。もしかしたら、漫画のほうが情報量が多いために成しやすいのかもしれない。
第一はさすがに、自分の為に描くことになるだろうが(生活もあるため)、
いずれは、誰かの幸せになれたらいいなと思う。両立が出来たらもっと良い。

ネットのスピード感に慣れてしまって、よく焦りを感じてしまうが、
仕事につなげる為に描く漫画も、それから絵で誰かを幸せにすることも
ゆっくり、じっくりと実現に向けて動けたらいいな。
その為に、自分には今日も明日ものんびりがんばってほしい、と思う。

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四方井ぬい

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