ちょ、そこの元サブカル女子!~白川ユウコの平成サブカル青春記 第十五回/だいたい三十回くらい書きます

1996年 平成8年 20歳 大学2年生

☆1月 新宿西口ホームレス排除、青林堂「ガロ」編集長長井勝一氏死去

 週刊SPA!中森文化新聞誌上にて、独立夜間学校ライターズ・デン開講イベントのお知らせが載った。場所は新宿区内の、どこかの駅の裏側の住宅展示場?のようなところの一画の倉庫らしきところ。お昼すぎ。特に目印も案内もなく、大丈夫かなこの道で、と心細くなりながらもひとり歩いてゆくと、同世代の男女や、一般人ではないっぽい大人が集まっているところにたどり着き、開校式。100人近くはいたか。
 発起人の藤井良樹氏、中森明夫氏、宮台真司氏がステージの上に。藤井さんと宮台さんは、「援助交際ブームのB級戦犯」なのだそうだ。A級戦犯は、裏ビデオの業者で服役中の人らしい。その火種をもとに日本社会の欺瞞を明らかにすべく焚き付けたのがこの二人。藤井さんは元極左運動家、そののち『女子高生はなぜ下着を売ったのか』を出版。きわどい写真を多く挿入してあるため「電車の中で読めない」という感想が寄せられたが、そういう本にしないと意味がない、のだとか。
 学校立ち上げの顛末などをお話された後、「では、参加希望者には、登壇してもらって一人ひとり意気込み、動機、自己紹介をしてもらいます」ええええ!
 フリーライターになりたい人、出版社で働くのを希望している人、すでに編集者として仕事をしている人…その中に、タータンチェックのスカートにブレザー姿の女の子が出てきた。「青山学院高等部在学中の柳川圭子です。私、鶴見済さんが大好きなんです。完全自殺マニュアルで衝撃を受けて。鶴見さんの文章って、読んでいると、鶴見さんの声が聞こえるんですよ!会ったことないのに!」
 彼女の言葉の的確さ、独自の視点と表現に、ああ、言われちゃったなあ、と思うと同時に、東京には、こういう感性を共有できる人がいるのか、ここで出会えるのか、と嬉しくもなった。私の番。私は私の言葉で言わねばならない。
 「はじめまして。昭和女子大学一年生の白川ユウコと申します。このライターズ・デンは、お会いしてみたいライターの方々がことごとく揃っていて、私のために企画してくださったのではないかというくらいです。静岡の高校時代に、学校の図書室にあった中央公論で宮台真司さんの存在を知って、その頃はこうして生でお顔を見るなんて思いもよりませんでした」
 こんなに滑らかに話せたわけではないが、こういうことを伝えた。
 「女子高生時代に中央公論って!」「けっこう前の読んでくれたね」宮台さん、中森さん、藤井さんはウケてくれた様子で安心した。
 倉庫内では勝手に交流会が始まって、小さなテーブルにてんこもりに用意してくれたコーラやプリングルスをいただきながら、注目していた女子高生に話しかけてみた。「あの、さっきの自己紹介、良かった!すっごいわかりました!」「あ、宮台ファンの女子大生。鶴見さんも好きなんですか?」「もちろん!」折りしもこのとき女子高生ブーム真っ只中。その渦中の彼女のお話はとても面白い。初めて会うたくさんの人たちを交えて話す。クラスメイトの男子の今年のお年玉は50万円を親から銀行振り込みという私立高校生事情や、援助交際の相場は値崩れしてきている、などなど。なんか始まる。なんかよくわかんないけど、なんか。

☆3月 安室奈美恵「Don’t wanna cry」、「李博士のポンチャックディスコパート1&2」

 大学の西洋美術史のゼミの先輩にあるとき、「白川さん、東京ガガガって知ってる?」と訊かれた。「はい。ガロで、園子温さんの連載で読んで、なんかパフォーマンスみたいのですか?」「え、興味ある?」「はい!」「今度、渋谷でやるみたいなの。タダだし行ってみない?」「行きます行きます!」
 なんかよくわかんないけど、ガロに載ってたパフォーマンスみたいなやつが渋谷でタダ。それだけの事前情報で、週末昼下がりの渋谷駅前へ。
 先輩と待ち合わせて向かったところには、中折れ帽を被った、なんだか存在感のある男性がいた。園子温さん。「月刊漫画ガロ」に載っているものの漫画家ではなく、詩や文章を載せている。見開き2ページのコーナー。園子温、は本名。何者なのだろう。
 これから、スクランブル交差点を止めるという。そこに雪崩れ込もう、と言われた。デモ申請はしていない。なにもスローガンは無い。ただ、スクランブル交差点を止めてみよう。それだけ。
 園子温さんは、青信号の交差点の中心まで行き、人が捌けて赤信号に変わってもそこに立っていた。車道からはクラクション。「邪魔だ!」というドライバーの怒号。園さんはなにか演説のようなことをしているけれど、マイクも拡声器もないので内容はわからない。そして、合図。われわれの集団はスクランブル交差点に突入した。
 横断幕を持った人、プラカードを持った人もいた。何を主張してもいいらしい。私はそのとき、東ドイツ軍の放出品の上着を着ていて、参加者の男性から「ネオナチの方ですか?」と訊かれ、「いえ、上質なウールで暖かいんです。上野の中田商店で安かった」などと会話した。ひととき交差点を占拠し、そのまま公園通り方向?へ行進しつつ自由解散。「あーおもしろかった」。

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