ちょ、そこの元サブカル女子!~白川ユウコの平成サブカル青春記 第十六回/だいたい三十回くらい書きます

1996年 平成8年 20歳 大学2年生

☆4月 スピッツ「空も飛べるはず」

 あこがれはJean Paul Gaultier、Agnes b,、Comme ca de Mode、Vivienne Westwood…しかしハイブランドにはもちろん手が届かない。CUTiE系のお洒落な国内ブランドも私には高価で、原宿にはほとんど行かなかった。なにしろ奨学金受給者の私なのだ。
 洋服の調達は、渋谷が中心。大学の帰りに新玉川線に乗り、渋谷駅地下は109-2の地下フロアに直結している。パスタ屋さん「壁の穴」の横のエスカレーターから一階に出る。ここは中高生女子も気軽に買えるような服。私は折りたたみ傘を購入。PARCOパート1,2,3はセール時期以外ほとんど見るだけ。私たちの年代がターゲットなのはわかるがお値段が…。それを横目に大中、宇宙百貨、indioなどスペイン坂周辺でのお買い物。円高と、中国の人件費の低さと、お店の企画センスの良さにより、「大中」の服はクオリティがかなり高かった。カーキ色のマオカラーのサマーニット、鯉の刺繍の入った黄色いTシャツ、金魚の臙脂色のカーディガンなど、お気に入りでかなり長く着られた。indioは静岡のアピタにも入っていたけれどエスニック色が濃く、渋谷はギャル服屋といった感じで、きれいな色の服が安く売っていた。
 大学周辺の三軒茶屋のお店も、安くてお洒落なお店をみつけてちょこちょこ買った。国道246号沿いや、茶沢通り。また大学裏のディスカウントショップ「セキゼン」系列の一店舗には、アウトレット的なお店があり、イレギュラーにけっこういい服が混ざっていた。空き店舗に古着の業者が一週間単位で来たりもした。
 大学の友達と少し足をのばすには、自由が丘。学生寮から二子玉川乗換え大井町線。上品なお洋服を目の保養に見たり、福袋を買ったり。お買い物は雑貨中心。陶器、硝子器、布製品など目玉商品が店頭のワゴンなどに気前よく並べてあった。an.an のインテリア特集で見た名前のお店をいくつか見つけた。キャトル・セゾン・トキオ、コンランショップ…。
 下北沢に行くこともあった。静岡に支店のあった「ガレージハウス」の本店!店舗の外は、ほんとにガレージのようになっていて、テントを張られたスペースに1950~1970年代の古着がいっぱい。仕立てのいい紺色のワンピースなどを購入。
 行動範囲がだんだん広がり、新宿へ。安くてお洒落なのはスタジオアルタ、MYCITY。個性的なデザインの服は大量生産しないので価格が高くなりがちだけど、アルタにおいてあるものは手が届いた。新宿でVIVIENNE TAMの、毛沢東がピンクの口紅を塗っているTシャツを買ったのだけどルミネの中のお店だったか。
 Tシャツはだいたい丈が短く、お臍が出るデザイン。ピタピタの「チビT」が流行。スカートはミニ丈。「アムラー」ファッションのブームで、安室奈美恵ファンならずとも、臍出し&ミニスカ&ブーツを身に着けるのは自然だった。
 午前中の授業のあとに、気分が悪くなり、大学の保健室へ行き、「風邪っぽいので休ませてください」と言ったら、おばちゃん先生に「風邪なのにあなたそんな短いスカート穿いて!」と怒られ、「着るものが無いんです…」と言ったら一転、ひどく哀れむような顔をされ、優しくベッドを貸してくれた。
 一方、ゼミの先輩方は、仕立てのいい、見るからに上等なお洋服をお召しだった。つやつやとした黒髪の、本物のお嬢様たち。その中からキャビンアテンダントとして就職する人も出る。一、二歳の年の差でこうも世代間格差があるとは…。でも、後輩の私のこともかわいがってくれて、青山や銀座でのディナーに連れて行ってくれたりした。いちおう「女子大生っぽい」金ボタンのついたスーツや上品なワンピースも持っていたので、きちんとした服を着て湯葉料理などをいただいたりもできたのだった。

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