ちょ、そこの元サブカル女子!~白川ユウコの平成サブカル青春記 第二十九回/だいたい三十回くらい書きます

1998年 平成10年 22歳 大学4年生


☆5月 X JAPAN hide自殺、ねこぢる自殺、椎名林檎デビュー

 コイちゃんのお兄さんの通っている法政大学では、学園祭が開かれているということで、二人で行ってみることにした。総武線市ヶ谷駅。ほう、これがタテカンというやつか。中核派とかまだいるんだ。模擬店などはあまり華やかな感じではなく、コイちゃん「野戦病院みたいだね」。フェミニスト田嶋陽子教授の講演もあるそうだ。建物に入ると、いたるところに、漫☆画太郎先生の人物の顔を大きくひきのばしてコピーして「野宿」とだけ書かれた貼紙。矢印の指すほうへ行ってみる。
 教室の一室が、活動内容の展示になっていた。模造紙に、写真や文章が貼ってある。野宿活動の報告。アウトドア系のサークル?かと思えば、国会議事堂の前でテントを張って寝泊りしたレポートもある。政治的な集団?どうやら、雑誌などでたまに見かける「法政の貧乏くささを守る会」の関係らしい。部屋には関係者がだれもいなかったので、よくわからないまま外の焼きそばと豚汁を食べて帰った。
 軍服パブに出勤すると、美術短大の学生のラブリーさんが、「AKIRAさんていう人のパーティーがあるらしいけど行ってみない?よくわからないんだけどすごい人なんだって。アンディ・ウォーホルの弟子だったらしいよ」興味を示した、もう一人ヘルプの女の子と三人で昼間待ち合わせ。西武線のどこだかの駅。材木屋。会費はあったのかなかったのか、とにかく食べ物やお酒は持ち寄り。すでにたくさん、貧乏そうなお洒落そうな、ダメそうな、そしてなんだかおもしろそうな人たち。
 ここはAKIRAさんのアトリエらしい。奥には大きなカンヴァスに緑色で激しく描きつけた絵があった。うんこで描いた絵だという。緑色なのは、防臭剤を混ぜると化学反応でこの色になるのだとか。
 一応ゆるーく司会をする若い男性がいた。自己紹介など。ベリーショートのひときわ美しい女性・ミシェルさんという人は、ラムネを固めてオブジェを創るアーティストで、人間の脳を象ったラムネの塊を回して見せてくれた。薄い水色で、触ったらほんとうにラムネでできていた。
 ちょうどお昼ごろ、みんなでお菓子やお惣菜を食べながら交流する。手書きコピーのフリーペーパーをもらった。ボ・ガンボスの「どんと」に似た、年齢不詳の男性。今ハマッているのはモーニング娘。とエヴァンゲリオンだというが、見た目はオタク系ではない。どんぐりみたいな帽子をかぶっていた。ペーパーには、たくさんの小ネタ、詩などがかわいい字で配置されている。「詩人にならないための50の方法」。枡野浩一さん好きなんですか?私も短歌をやってるんです、というと、「枡野さんいいよね!」「ライターズ・デンでお会いしました!」と盛り上がった。本名が、昔の偉い人と同姓同名。福沢諭吉みたいな。仮に「ユキチくん」としておく。
 差し入れのなかに、「蛭酒」を持ってきた人がいた。水中で生きているヒルを焼酎で漬けたもの。どこかから入手したものの飲む勇気がなくてここに持ってきたという。「誰か飲んでみる人?」話の種に飲んでみよう。手を挙げた。「え、ほんとにいけます?」「うーん、舐めるだけ」壜の見た目からして生物液体標本みたい。紙コップにちょっとだけもらい、薬指につけて味見した。「うわーーーーー…」「どう?どう?」みんなが注目。「ドブの味がします…」「やっぱり美味しくはないかぁ!」コーラをもらって口直しをした。
 ベニヤ板で作ったプラカードの木材が、一人一枚わたされた。刷毛とペンキを自由に使って、何を描いてもいいという。新宿で、メッセージのないデモ?行進?をするらしい。東京ガガガみたいなやつか。私は隣にいた女の子の似顔絵を描いた。ラブリーさんは、少年の生首をイメージした茶系統の色彩の絵で高評価を得ていた。
 食べ物がもっと欲しいね、と、近所のスーパーに何人かで買出しに行ったりしてゆるーく交流。そういえばAKIRAさんてどこにいるの?会場にいないよね。という話になった。もどって司会の人に聞いてみると、ここにいるよ、と、材木屋の中二階?に通された。長髪のヒッピーみたいなおじさん。「今日はありがとうございます」とお礼を言うと、煙を吸って上機嫌な様子でにこにこと手を振ってくれた。われわれ三人は出勤日だったので、そのまま新宿駅まで行き、時間をずらして店に入った。
 ラブリーさんが、「ユキチくん面白いよねえ!私、電話番号もらったよ」ということで、それからよく三人で劇団やロックのライブに行くほど仲良くなった。河原雅彦率いるハイレグジーザス(男性メンバーは全裸になる)、ふしぎな舞台の「猫のホテル」。人間椅子も聴きにいった。和嶋さんかっこいいねえ!!と盛り上がった。
 ユキチくんは、会うたびに新しいペーパーをくれる。いつも面白い。言葉遊びとか、ちょっとした発見とか、たくさんのネタ。ラブリーさんと私も、「うちらも作ろう!」まず、私が「週刊エレナ」を書いてみた。お店のレギュラーのお姉さんの特徴と、それについている客の傾向を図表化。ラブリーさんは「レスリーちゃん」。勤務中、こそっと交換し、トイレで読む。開いたら「もしエレナさんと喧嘩したらラブリーが取る行動」として「エレナさんが、セイラさんよりララさんのほうが締まりがいいって言ってますよぉ~」など危ないネタ満載。必死で個室内で笑いをこらえる。私は「残酷な社長のテーゼ」という替え歌の歌詞を書いたとき、トイレから出てきた苦しそうなラブリーさんから「…エレナさん、天才」と絶賛された。店ネタの「週刊エレナ」のほかにも、短歌や詩の「文芸エレナ」も発行。ユキチくんや、店以外で出会った人に配った。ユキチくんも短歌を書いてくれるようになった。
 軍服パブの雲行きは怪しくなってきた。ショータイムがあり、指名争いのお姉さんたちがオールディーズの英語の歌を歌って踊るのだが、本格的にシンガーを目指していた女性が失踪した。いわゆる「飛んだ」というやつ。朝礼で(朝じゃないけど)彼女は社長になにかの件で叱責され、ファイルの束で全員の前で頭をぶったかかれていた。その日のDJブースで待機していた彼女が一人で涙を流しているのを見てしまった。その後だった。
 レギュラーになるように言われたラブリーさんは、「この前、風邪で休んだら、ドアノブに店長から差し入れのビニール袋がかかっててさぁ…怖い…彼女も無事だったらいいんだけど。どこまでも追ってきそう」オタクの常連客を逃した、もう一人のレギュラーの女性は、ヘルプの私たちが帰ったあと、社長からバケツで水をぶっかけられたらしい。なんかやばい。状況がやばい。
 ノーパンしゃぶしゃぶ系列店から勧誘した地元の友達は、すでに渋谷センター街のルーズソックスキャバに移転していた。「こっちそこまでやばくないよ。ユウコさんこっち来て」。大学が忙しくなったとかなんとか言って軍服パブを辞め、渋谷「チョベリグ」に移った。
 ぺらぺらのミニスカートのセーラー服と、靴下はスーパールーズ。脚が冷えないのはありがたい。天井から三本のボトル(ウイスキー、ブランデー、バーボン)が逆さに下がっていて、立ち上がってそこからグラスにお酌する。パンチラが見られてしまうが、お触りなどはない。ここも金髪ベリーショートの子や、明らかに体重が平均の倍だろうみたいなフリーター女子が溜まっていて、水商売に本気でとりくんで自分のお店を持ちたいというような子もいないわけではなかったけれど、まあ基本やる気ない。やりやすい。
 東急プラザの紀伊国屋書店のアルバイトのあと、南口からそのままガードをくぐってセンター街へ出勤する。紀伊国屋の同僚の大学生に、キャバクラと掛け持ちしていると話すと、別の男子に「白川さん、イメクラで働いているんだって」と伝えられ、キャバクラとイメクラの区別もつかない真面目なつまんねえ書店店員に釈明するのもあほくさく、放っておいた。イメクラの店先にはよく「綾波はじめました」という貼紙があった。
 その道端の新聞のスタンドに、「女性漫画家自殺」というスポーツ新聞の見出し。誰?と思わず購入。えっ、ねこぢる!!!うそ!!!
 「月刊漫画ガロ」の天才作家だ。連載「ねこぢるうどん」以外にも、「ねこぢる日記」「ぢるぢる旅行記」など、精力的に、夫である山野一先生とともにお仕事をされていた。東京電力のコマーシャルのキャラクターまで手掛けて、私の周りではまさにスター。何故?
 新聞によると、ドアノブにビニール袋を掛け、それで首を吊った、遺書はない、数日前のX JAPANのhideと方法が同じ。しかし彼女はエイフェックス・ツインやゴア系のテクノが好きで、音楽の趣味は真逆のはず。高校時代に「ガロ」で写真を見たことがある。ねこぢる特集号。ショートカットで、痩せて小柄で眼鏡。タイで撮ったものだったか、蓮の花も写っていた。姉が「こういう、少年っぽい、のび太くんみたいな女の人いいよね」としきりに言っていた。
 ねこぢる死んだ、なんでなんで?とそのままルーズソックスパブに出勤。若いお客さんがカラオケでhideの「ピンクスパイダー」を熱唱。ねこぢる死んだ。なんで?くらくらした。
 紀伊国屋書店にその後、雑誌「危ない一号」の二号が入荷し、一号とともに社割で買った。山野一先生のインタビューが載っていた。鶴見済さんの、合法の薬剤の副作用を利用する方法や、村崎百郎さんのゴミ漁りの記事、青山正明さんの海外未成年買春、死体の解体、女性の脱糞。ラブリーさんの代田橋のアパートに遊びに行こうとしたら、人身事故に遭遇した。白いシートは、大人の身長より短くなった膨らみ。嬉々として「今、駅についたんだけど、死体あるよ!」と電話。二人で線路に残った鶏肉状のものを見てはしゃぐ。なにかが壊れ始めた。五月三十日、私の誕生日だった。

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