ちょ、そこの元サブカル女子!~白川ユウコの平成サブカル青春記 第二十一回/だいたい三十回くらい書きます

1996年 平成8年 20歳 大学2年生

☆8月 第一回フジロックフェスティバル、RAINBOW2000

 8月10日。チケットぴあで購入したチケットを握り締め、日本ランドHOWゆうえんちへ向かう。
 RAINBOW2000、富士山麓で一泊二日のレイヴ。都内からバスに乗り、眠って目覚めたら、なんだか外の天気があやしい。夏の午後なのにやけに暗い。大丈夫なのか…?
 鶴見済さんの追っかけをしていたら知り合ったクラブキッズのニコちゃんは「行けたら行く」と言っていた。ポケベルもPHSも持っていない私は、とりあえず入場し、入口のお土産屋さんのなかでずっと待っていた。来ない。いない。10000人規模のイベントだから見つからないだけなのかもしれない。どこかで会えるかも。待機は諦めて、野外ステージに向かった。ポーチに入ったビニールポンチョと携帯灰皿が配られた。
 まずは卓球さんのステージへ。間に合った。足元のぬかるみや風雨に慣れるのがやっとで踊るどころではなかったけれど、初めての野外レイヴ。ああ、来たんだなあ、という感慨は深かった。
 C.J.bollandとKEN ISHIIも同じステージ。そしてUNDERWORLD 。途中で別のステージを見てまわった。みんなテントを張ったりして、アウトドアのノウハウを持つお客さんなのか。スタッフの詰め所みたいなところで、ひっくりかえって痙攣?ひきつけ?を起こしていた人がいたのだが大丈夫かあれ…。
 夜中の雨がちらちらと降る闇の中、突然メリーゴーランドが光って回りだした。小さなステージ。音楽はHARDFLOOR。え?来てるの?それとも彼らの曲をDJの誰かがかけたのか、でもひとりぼっちで確かめるすべはない。しかし美しい光と音で、踊らずにはいられない。こんな光景見たことない。なんて綺麗。なんか楽しい。来てよかった。
 おなかがすいて、食堂の建物に入った。オーガニックのカレーが売っていた。雑穀米の、ベジタリアンが食べるようなの。温かい飲み物と一緒に食べて、朝まで休もう。
 食堂は避難所と化していて、私も誰かが捨てていったレジャーシートを拾って、バッグを枕に、床で横になった。高円寺の古着屋さんで買った黄色のサマードレスを着ていたけれど寒い。行きのバスで着ていた半袖の上着と、着替えに持ってきたTシャツ、全部着込む。ぜんぜんお洒落じゃなくなったことが悲しかったがサバイバルだ。ちょっとうとうとできた。
 夜が明ける。最後に、ニコちゃんのお奨めのDJ,YO-Cを一目見て帰ろう。ステージは最初に卓球さんを観たところ。坂を上って、観客を見下ろせるところへ歩いた。雨はあがっていた。
 あれ?前にいる人。背格好、髪型、色落ちした黒いポロシャツ。この人知ってる。もしかして。「あのー」「あっ!」新宿リキッドルームなどで会ったことのあるお兄さんだ!「ニコちゃん来てます?」「来ないっていってたよ、直前に」「うっそ、私ずっと一人でしたよー!!」「一晩ずっと!?よく耐えたねえ」
 YO-C登場。ジャーラーラララーララ、というアンセムが流れる。ああ、救われた。報われた。幸せだ。仕合せだ。私は大丈夫だ、何があっても。
 その人の仲間も何人か来ていた。クラブで会ったことのあるベリーショートのお洒落なお姉さんに、「もっと前に会ったことありますよね?出身どこですか?」と訊かれ「静岡です」と言うと「もしかして安東中?」なんと、姉の部活仲間だった!信じられない展開!!
 みんなはこの後、大きな車に乗って富士のさらに奥のレイヴに行くらしい。お兄さんに「帰りどうするの?」と訊かれ「そこでバスのチケット買います」と言うと、「手配してないんだー。勇気あるねー。この前のフジロックみたくならなくてよかったね」と言われた。フジロックみたく?聞けばなんだか大惨事だったという話。この一週間前か。
 隣のステージを観て、ゆるく踊って、お別れした。無事バスに乗れて、眠って起きたら新宿駅西口。
 京王線で下高井戸に帰り、この日は沖縄で暮らしている姉が遊びに来るのだった。急いで着替えて、どろどろになったお気に入りのスニーカーを水に漬けて、サンダルで駅に迎えに行った。
 再び部屋に着いて、留守電をチェックすると、電波の具合の悪い携帯電話かなんかからの、男性の声がごにょごにょ入っている。何度か聴いていると、あ!これ花園神社の骨董屋さんだ!欲しかったけどお金の持ち合わせがなくて、次にお金持って受け取りに行くって約束してた。その次回って…今日じゃん!
 「お姉ちゃん、一緒に新宿いってくれない?ちょうどよかった。荷物運ぶの手伝って」「あんたいそがしいねえ」
 新宿の花園神社の蚤の市で、青銅製の猫の像に一目ぼれした。高さは50センチほどか。猫が立っていて、突き出した両手にお皿があって、ちょこっと物が置けるようになっている。エジプトっぽい雰囲気だがインドネシア製だとか。
 店じまいに間に合った。文系ヒッピーみたいなおじさんに「おそくなってすみませんでしたー!」お支払いして、持ち帰る。姉と「重いねー」と交代で、青銅の猫を抱えたまま電車で帰った。「あ、レイヴに合唱部の先輩来てたよ」「え、私も会いたいよ!」
 その後、各音楽雑誌などが、第一回フジロックフェスティバルの地獄っぷりを報じた。嵐と、運営の不備、客の装備の甘さ、交通の麻痺。死者が出た話はなかったが、だれも言わないだけでもしかしたらいたんじゃないか。ひきつけを起こしていた人を思い出した。あのお兄さんが、帰りのバスの手配もせずにレイヴに来た私を無謀とみたのはこういうわけだったのか…。
 日本初の、二つの富士山麓の大規模野外レイヴは両者とも酷い荒天。フジロック、行かなくてよかった。RAINBOW2000、行ってよかった。
 どこかの駅ビルのCDショップで、あのアンセムが流れてきた。店員さんをつかまえて「今かかってる曲、これ何ですか?」入荷したばかりの輸入盤を出してくれた。Samba de Janeiro。日に焼けたTバックの女性のお尻のジャケット。レコーディングはハンブルク。これが世界中で流れているのか。ドイツで、ブラジルで、そして今、日本で。

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