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ここから写真がはじまる (連載「写真の本」2)


写真とは何か、という問いを投げてみる。
いろいろ難しい精神論や芸術論があちこちから返ってくるでしょう。
いやそうじゃなくて、と、そのさまざまな論者を押しとどめ、とりあえず原理的な意味で写真とは何か、を問うてみる。

今みたいにスマホと呼ばれる万能通信機器が世界中を席巻する少し前までは、「デジカメ」と呼ばれる、遠隔の人と通話や通信はできないけれど、目の前の光景を二次元画像に変換することだけが出来る機器が、画像取得の道具として活躍していました。
その「デジカメ」が主流になる前は、映像記録素子に、なんとゼラチンシートに感光性物質(主にハロゲン化銀)を塗布したものを使い、受光の多寡を化学変化量で記録していました。
(・・・わざとややこしく書きましたが、まぁ、いわゆる写真フィルムというやつですね。)

ハロゲン化銀が登場する前にも、いろいろな感光物質が利用されていて、写真発明者の一人に数えられるニエプスが使ったヘリオグラフィーと呼ばれる技法は、アスファルトの一種を使うものだったそう。
「小さな穴を通った光が上下逆さまに像を結ぶ」いう現象は紀元前のアリストテレスの時代から知られていましたが、遮光された小部屋の壁に穴を作って、そこから上下反転投影された画像を筆や鉛筆でなぞれば比率的に正確に風景を絵画化できるじゃん、という思いつきから、まずはカメラ・オブスキュラと呼ばれる投影装置が作られ、その投影像じたいを鑑賞したり、絵画制作に利用したり・・・・

『映像の起源』
中川 邦昭
美術出版社

おっと、遡りすぎたようです。
カメラ・オブスキュラの上下反転投影像を鉛筆でなぞって絵画制作をする、というところまで戻ってしまうと、それは「写真」ではなくなってしまう。単に「投影機を利用して描いた絵」ですもんね。

カメラ・オブスキュラの投影像を見て、当時の科学者たちは考えました。
この像を、鉛筆等画材を使わずに化学的に定着する方法はないだろうか?
そう、ここ。
ここが写真のはじまりなのです。

写真とは何か?
「レンズ等を通って焦点を結んだ像の濃淡を、何らかの方法で(なぞるのではなく)画像として定着したもの」
そう。大事なのは「定着」なのでした。
光によるアスファルトの硬化作用を使うとヘリオグラフィ。
ハロゲン化銀の感光特性を使うと銀塩(フィルム)写真。
それを電気信号でやっちゃうのがデジタル写真。
それをMagicでやっちゃうのが iPhone(だそうです)。

・・・・・

詳しい技法の蘊蓄を語れるほど詳しくはないので適当に端折りますが、当時の科学者たちは投影像定着の方法に頭を悩ませ、その中からニエプスやダゲールといった人たちが、ほぼ同着ゴールみたいな感じで写真誕生の瞬間を迎えたのです。1830年代後半の話です。
タルボット(トルボット)もそのうちの一人。

『自然の鉛筆』
ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット
赤々舎

世界最初の写真集と呼ばれるのが、このタルボットの『自然の鉛筆』です。
写真は、その発明にいたるプロセスからみてわかる通り、アート側からの要望(カメラ・オブスキュラが描き出す像を正確に記録したい)はあったにしても、それを担った人々は科学者たちです。

タルボットの写真も、最初はレース布の断片や植物の断片など、とりあえず「目の前の物質が忠実に克明に描写されること」に喜びを見いだすような「実験的」な画像からのスタートでした。
しかし、写真術の成功からほんの数年の間に、写真は「実験」の段階を卒業し、次々に今見るような被写体へと興味を移していきます。
重い石の歯車がごんごん音を立てて動き出すように科学の世界から飛び出し、「光が描く画」として、現在の「写真」につながるまっすぐな道をぐんぐん走り出します。

この赤々舎版『自然の鉛筆』には刊行されたオリジナル写真集の図版しか出てませんが、PHAIDON社が出版している『William Henry Fox Talbot』には、カロタイプ発明当初からの断片的な写真も収録されていて、「実験」から「表現」へ一気に駆け上がる道筋がよくわかります。
科学からアートへの変換スピードは本当に感動的です。
(科学者から芸術家へ写真の担い手が変わった、と言いたいところですが、当時、職業的科学者や職業的芸術家がどこまで存在したのかという話になると、結局のところ科学も芸術も一部の富裕階級に担われ、その両方を同じような人やグループが牽引していたようだ、ということになるのですが 笑)

街角・建物の写真
陶磁器の蒐集目録的写真
彫刻の見本写真
きちんとライティングを施された彫像写真
絵画的構図を意識した静物写真
カメラ・オブスキュラを用いず印画紙に直接葉を置いて影を写しとった「フォトグラム」
古文書の複写
石版画の複写
レースのネガ(白黒反転)像
人物写真
画家のスケッチの実物大コピー
・・・等々。

これは、今ペラペラと『自然の鉛筆』の頁を繰りながら、目にとまった図版をメモしてみたもの。
黎明の人・タルボットにしてすでにここまで多様な写真世界を編んでいるのです。

写真の発明から十年でタルボットがここまで到達したことを思うと、残りの写真の歴史170年はもうオマケみたいなものなのでは? というくらいに、数年前はじめて京都国立近代美術館でタルボットの写真を見たときは衝撃を受けたものです。
(PHAIDON "William Henry Fox Talbot")

原版がそのままオリジナルであったダゲールの写真(ダゲレオタイプ)と違い、カロタイプと呼ばれるタルボットの方式は半透明の紙にネガ像を記録し、それを別紙に反転させてポジ像を得る「複製芸術」としての写真の嚆矢でもあります。


(シミルボン 2017.5)

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