見出し画像

1994

N.O.

電気グルーヴが発売したアルバム「VITAMIN」がすごく良くて、東京ベイNKホールの野村ツアーFINALに学校の友達と行きました。「N.O.」最高だったし、富士山のピエール瀧さんの着ぐるみもめちゃおもしろかった。そして最後の「電気ビリビリ」はテンポがMAXに早くてすごく盛り上がりました。電気グルーヴのファンはみんな個性的ファッションでCUTiE読者も多く、当時の篠原ともえさんみたいな格好をした人がほとんどでした。

PARISに行く!

90年頃から円高が進み、1ドル100円くらいまでになっていて、今まで高額だった海外旅行がオフシーズンにはひとり10万円程度で行けるようになっていたので、母親と一緒にパリ旅行に行くことにしました。

飛行機はエールフランスで機内食がすごく美味しかったのでびっくりしました。ツアーで凱旋門やエッフェル塔、オペラ・ガルニエ、ルーブル美術館に行って、絵画のような街並みに興奮しました。老舗のフレンチキャバレー「クレイジー・ホース」のナイトショーにはたくさんの観光客が来て、ドラァグ・クイーンが司会をしていました。母がはしゃいで舞台で踊って恥ずかしかったです。

他にもクリニャンクールの蚤の市や、ちょうどSOLDES(セール)の時期だったのでagnes bやMORGANに行ったり、ディスカウントストアのTATIで大量のお土産を買いました。ひとりでメトロに乗ってみたり、タクシーに乗ったら女性の運転手で車の中に黒いプードル犬がいたり、ほとんど言葉は通じないけど貴重な体験でした。

画像1

下の妹の様子がおかしい

私には二人の妹がいて上の妹は学年がひとつ下、下の妹は4つ年下で昔から上ふたりがなかよく、下の妹がハブられる傾向になっていました。中学生になった妹が軟式テニス部にはいり、早朝から夜まで部活が忙しくなり家族とあまり会話をしなくなりました。朝5時にひとりで起きて録画した「ウゴウゴルーガ」を観てから部活の朝練に行っていてご飯もあまり食べずどんどん痩せていきました。拒食症を心配した母親が鈴木その子の「やせたい人は食べなさい」という本を読ませて、「ウゴウゴルーガ」の1994年3月放送終了くらいには少し普通に戻った様子でほっとしました。私が下の妹に「デブ」と言ったのが原因だと叱られました。「ウゴウゴルーガ」すごい面白い番組だったけど妹のことがあったのであんまり好きになれず、その後4月から「ポンキッキーズ」がはじまって、スチャダラパーの「Welcome to Ponkickies」が最高だと思いました。

そして私は、下の妹を「デブ」とバカにしていたのに、引っ越し貯金のためにアルバイトをしていたヴィ・ド・フランスでパンを食べ過ぎて激太りしてしまいました。

新生活

結局私は4月から、専門学校桑沢デザイン研究所2部ドレスデザイン科に進学することにしました。南行徳に家を借りて、上の妹と一緒に暮らすことになり、高校3年の上の妹は南行徳の家から1年間高校に通うことになりました。

専門学校の入学式に着る服を買いに母親と原宿へ行きました。MILKのワンピースを見に原宿本店へ行ったら、店員がなぜか関西弁のおばさんで「あなた太ってるからうちの服着れないよ!」と言われたので、しぶしぶラフォーレ原宿のJane Marpleで黒いワンピースを買ってもらいました。丈を自分で詰めて流行りのマイクロミニにしました。

別冊フレンドまんがセミナー

高校生の時に投稿した漫画が「別冊フレンド新人まんが大賞」で入選し、まんがセミナーに行けることになりました。高輪プリンスホテルで漫画家先生にご指導してもらえる、ケーキとお茶つきのスクールでした。私はネームを描いてあさぎり夕先生にみていただきました。座談会でうとうとしていたら、安野モヨコ先生がお話ししたいと呼んでいますよ、と言われたのでお話しさせていただきました。当時、安野モヨコ先生は少女フレンドで「TRUMPS!」を連載していた人気のおしゃれな新人漫画家で、ロリータ系の私の服装に興味を持ったのだと思います。(Jane Marpleのワンピースを着ていました)「服装がすごく素敵です!漫画がんばってください!」をおっしゃっていただきました。

このころは玖保キリコの「シニカル・ヒステリー・アワー」とか岡崎京子作品の単行本を読んでいて、古谷 実の「行け!稲中卓球部」や井上 三太の「TOKYO TRIBE」、松本 大洋、望月 峯太郎などの男性漫画も読むようになりました。

桑沢では現代美術論を受講していて、アンディ・ウォーホルや寺山修司の資料や映像作品をよくみていました。アンディ・ウォーホルのポップな作品が好きで渋谷LOFTでB1サイズの牛の巨大ポスターを買って家に飾りました。

画像2

カート・コバーンの死

ニルヴァーナのカート・コバーンが自殺したニュースが大きくとりあげられて、ニルヴァーナの曲がテレビやラジオでたくさん放送されました。ビースティ・ボーイズ(Beastie Boys)はレコード会社「グランドロイヤル 」(Grand Royal)を立ち上げ、リリースした「Sabotage」のミュージックビデオがすごく面白かったです。「Loser」がヒットしたベック(Beck)やソニック・ユース(Sonic Youth)、ビョーク(Björk)などは「オルタナティブ・ロック」と言われて、Hi-Fiの逆でわざと歪んだサウンドにするような「Lo-Fi」という言葉が流行しました。

クラブミュージックではUnited Future Organization(U.F.O.)やジャミロクワイ(Jamiroquai)といったアシッド・ジャズが盛り上がっていて、Deee-Liteのようなハウス系も増えていました。サイケデリックなジャケットの「Dewdrops In the Garden」がすごくかわいくて、旧メンバーのテイ・トウワ‎さんを知って驚きました。

それからプライマル・スクリーム(Primal Scream)の「Rocks」がヒットしたり、レディオヘッド(Radiohead)、オアシス(Oasis)やブラー(Blur)などイギリスの音楽チャートがブリット・ポップと言われて盛り上がってきました。また、小山田圭吾の敏腕プロデュースでデビューしたカヒミ・カリィの「GIRLY」ではゲンズブールのカヴァー曲に衝撃を受けました。

画像3

スーパーモデル

コレクションをチェックしたかったのでファッション誌の「SPUR」を買うようになりました。クラウディア・シファーやナオミ・キャンベルなどのスーパーモデルブームだったのでモデルスナップもたくさん掲載されていて読み応えがありました。掲載されている服はハイブランドでほとんど買えるようなものはなかったけど、カール・ラガーフェルドがデザインを担当していた「CHANEL」や、トム・フォードの「Gucci」がすごく素敵でした。

サブカルの聖地

学校の友達と一緒に下北沢に行きました。SWIMMER(雑貨店)やシカゴ(古着)、Disk Union、カフェなど楽しいお店がたくさんあって時間が経つのを忘れました。レトロな喫茶店「いーはとーぼ」のパンとカフェオレが激ウマでした。カフェオレのミルクはレンジで温めてから泡立て器で泡をたてていました。夜学クラスの友達は年上だったけど、「フリッパーズ・ギターのファンだ」というだけで、すぐに意気投合しました。今まで行ったことのない東京の街をいろいろ教えてもらいました。吉祥寺の駄菓子屋「夢や」でアルバイトをしていて、塚本 晋也監督の「鉄男」に出演していた田口トモロヲさんの大ファンでした。その子に「ヨンヨン」というニックネームをつけてもらいましたが、1年で学校をやめてしまいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?