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老いた母をどう見守るか

サービス付き高齢者住宅に入居している母

今年の2月に大腿骨骨折をしてしまい、長期に入院。退院してからは歩行はできるものの、かなり認知症が進んでしまったことで、骨折したことも忘れているので、普通に歩こうとして転倒することもあった。

退院してからは、夜間のトイレごとに起こされて、私が数日でダウン。日中も動きにくくなった身体の変化に戸惑い、骨折したことを説明してもすぐに忘れてしまう。

同じことを朝から晩まで何回も何回も説明する。それも数分単位だとこちらも疲れる(笑)

デイケアに通ってくれるようになったが、送迎の時間は私の勤務時間の出勤時間よりも遅く退社時間よりも早い。なので、仕事ができる時間はものすごく短くなった。

週に3日だけ働き、それも時短になった。

偽痛風になり関節が痛み始めて、訪問看護の方に相談したら緊急入院になった。

介護に行き詰まりを感じる直前だったので、この緊急入院がどこか私の中で救いになった。

と言うのは、不穏な行動を取るようになっていたからだ。妄想のような有りもしないことを現実のように捉えて、私を責めるようになったから、とてもしんどかった。

いい思い出なんて思い出せないくらい、母は老いていく自分自身に苛立ちを覚え、傍で介護する私にさえ、暴言を吐くようになる。優しい気持ちも持てなくなるくらいに私の心が荒むのがわかる。

入院中は非常に機嫌が悪く、面会に行くといつも罵倒された。やるせなかった。優しい人だったのに、何故こんなことになるのだろう。と

目を背けたかった。

それでも、母との交流を軌道修正したかったから、介護負担が大きくなった母を帰宅させることは出来なくて、それでもホームではなく高齢者住宅にした。それも徒歩圏の。自宅とシームレスな暮らしを思い描いていた。

入居時も悪態をついていたけれど、その生活に慣れ、一人の時間が多くなると、家族への思慕と残された時間の使い方に向き合うのだと思う。

コロナ禍でも面会制限が揺るやかになり、部屋まで会いに行くことが出来るようになる。不機嫌な状態はなくなり、穏やかな母に戻っていた。

帰宅願望も、これまでとは違い、家への固執ではなく、家族への思慕へと変わる。

自宅で看たいと言うのが、私の理想だったけど、認知症や年齢特有の不穏な行動に私は一度音を上げて、手放してしまった。高齢者住宅との暮らしと一時帰宅の日常をこれからどうバランスを取っていくか。。

そして、自宅が単に住まいではない居場所になるのか、取り組みたいと思う。

だから、私は自宅を思い出ギャラリー、ミニギャラリーに設えたい。


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