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ホルダンモリさんのシラスチャンネル(1/8)に出ます。

新年の初仕事として、1/8(月祝)の17:00より、ホルダンモリ/翼駿馬さんのシラスチャンネルに出ます(ライブ中継後、半年間はアーカイブあり。番組へのリンクはこちら)。

翼駿馬さんは非常にありがたい『平成史』や『危機のいま古典をよむ』のレビューを書いてくださった方で、ゲンロンカフェのイベント(こちらとか。公開2/29まで!)の後の打ち上げで知りあいました。

シラスは東浩紀さんが起業したゲンロンの動画配信プラットフォームなので、当日は昨年の東さんの話題書『訂正可能性の哲学』・『訂正する力』をめぐって議論する予定です。翼さんも早速、前者をめぐるアツい紹介を寄せています。

私としては、まぁ「未来永劫、絶対に覆らない史実」みたいなものばかりをめざしがちな歴史学って、要は「訂正しない力」を強化してゆくだけの学問だから、もう要らないよねって話はするんですけど(笑)、それだけだとあんまりなので、あらかじめちょっと補足。

『訂正可能性の哲学』の後半ではルソーの今日的意義が論じられますが、そこにルソーが1758年、故郷ジュネーブに劇場ができることに反対した挿話が出てきます(p272~8)。いわく、ジュネーブにはセルクル(サークル)と呼ばれる十数名ほどのメンバーで社交を楽しむ文化があるのに、劇場が立つとそれが壊れてしまうから、よくないと。

一方でルソーは後日、パリでの観劇体験について、実際にはみんな劇の内容には関心がなく、単に社交を楽しむネタとして通っているだけだとする悪口も書いている。どうもルソーにとって「よい社交」と「悪い社交」があったみたいなのですが、『訂正可能性の哲学』を読むかぎりでは両者を分ける基準は曖昧だったように思え、よくわからない。

個人的には(日本史家だったのに)最近知った、こんなエピソードと比べたくなったりします。

江戸の歌舞伎は夜明けから日没まで、明治になっても朝十時から午後十時まで上演するのが当たり前だったが、いみじくも大震災が起きたのと同じ年、大正十二年の二月に警視庁が発令した興行取締規則によって、一回の興行は六時間以内と定められた。それによって帝劇は昼夜二部制に踏みきり、いまだ一部制を堅持する木挽座〔歌舞伎座。小説のため変名にしている〕も通常は午後三時開演、九時終演を余儀なくされている。

松井今朝子『壺中の回廊』集英社文庫、58-59頁


ルソー(1712-78)は、日本だと平賀源内(1728-80)と重なる時代の人ですが、当時の日本の芝居小屋は朝から晩までオールタイム開けていたらしい。歌舞伎の現代演出で知られる木ノ下裕一氏も、だから江戸っ子にとっての観劇とは「ずっと舞台を凝視しているわけではなく、ご飯を食べたり、休憩をしたり、おしゃべりをしたり、退屈な場面は観なかったりと、客席を動き回りながら、自由に振舞」う体験だったはずで、東南アジアの伝統芸能に近いと述べています。

半日にも及ぶインドネシアの
影絵芝居ワヤン・クリッ
(木ノ下氏の上記リンク記事より)

今日で喩えるなら、前近代に「お芝居を見に行く」体験はむしろ、テーマパークで一日のんびり過ごすとか、SNSにログインして気が向いたときだけわちゃわちゃ話すタイプの生活習慣に近かった。もし近代文学的な「俺の作品を見ろ!」という発想の戯曲家だったら耐えられないけど、でも「そんなもんでしょ?」と思ってる消費者の側には、その苛立ちは通じない。

それは(私も含めて)公の場で発表した文章が、読者に集中力をともなう形では享受されず、片手間のスクロールで時間つぶし的に読み流される情報環境の先駆けでもある気がします。たとえばそこから『訂正可能性の哲学』における、あるべき社交と公共性の考察に光を当てるのが、もはやすっかり数少なくなった歴史の役に立たせ方だろうな……とか思ってます。

多くの方にご視聴いただければ幸いです!

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