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統一原理注解 堕落論➖(4)人間堕落の結果と堕落性本性

人間は本来神性を帯び、善のみ志向していた。しかし天使長ルーシェルの誘惑によってアダムとエバは神様の戒めを破って罪を犯し堕落してしまった。天使長ルーシェルはサタンとなり、アダムとエバはルーシェルの堕落性を受け継ぎ、その子孫も血統的に堕落性本性を受け継ぐ様になった。そして人間は本来神様の愛によって主管を受けるはずであったが、神様に代わってサタンの主管を受ける様になってしまった。統一原理によれば堕落性本性は4つに分類される。

①神様と同じ立場に立てない。
天使長ルーシェルが神様の愛するアダムとエバを神様と同じ思いで愛することができなかった。ルーシェルはアダムをねたみ、エバと不倫な関係を結び、エバの愛を蹂躙した。
この思いは私達の日常生活でも垣間見ることができる。例えばある夫婦の間に第一子が生まれ、両親の愛を一身に受けていた。ところが第二子が生まれると状況は一変し、両親の愛はより一層第二子に向けられた時、第一子は弟或いは妹をねたみ、産まれた当初は親と一緒に可愛がっていたのに段々と弟、或いは妹をいじめる様になる光景を見たことはないだろうか。
また学校で担任の先生が頑張った生徒を褒めると、先生と一緒に喜んであげる事が出来ず、かえってねたみ、いじめてしまう。会社においては、社長が凄く頑張っていい営業成績を出した社員を褒めると、他の社員が一緒に喜んであげる事が出来ず妬んでしまう様な事が起こる。これらの場面は社会のあらゆる場面で遭遇する。私達も堕落した天使長の心を受け継いでいないだろうか。まとめればねたみ、嫉妬、自己中心などがこれに当たる。

②自己の位置を離れる。
ルーシェルは神様の愛をより多く受けるために、天使世界に持っていた愛の位置を、人間社会においても保とうとして、その不義なる欲望によって、天使長という自己の位置を離れてエバを誘惑し堕落した。
例えば結婚して夫婦の関係にあるのに、夫が浮気し妻以外の女性と不倫な関係を持つ。逆に妻が浮気し夫以外の男性と不倫な関係を持って妻という自分の立場を離れる。まだ未成年なのに大人と同じ事をする事を願い酒、タバコなどを求め、その先には性の誘惑が待っている。不義な感情で自己の分限や立場を離れ、不品行、浮気などがこれに当たる。

(3)主管性転倒
天使は本来人間の愛の主管を受ける様に創造されたが、逆に天使長ルーシェルはエバを誘惑して主管し堕落させ、またアダムの愛の主管を受ける様に創造されたエバが、逆にアダムを誘惑し主管して堕落させた。ルーシェルとエバとアダムとの間に起こった霊肉の堕落は主管性転倒という堕落性本性となって子々孫々に受け継がれる様になった。
子供は親の愛と主管を受けて成長するが、子供が成長すると今まで育ててくれた親を尊敬する言葉もなく、罵り、命令し、主管する姿を現代社会ではよく見かける。これは主管性転倒に当てはまる。
また夫婦では奥さんが旦那さんという立場を無視し命令と主管をしまくり、旦那が萎縮して小さくなっている姿、これも主管性転倒だ。男女は神様の前に平等である。しかし全ての存在物には位相というものがあり、主体と対象の関係が必ず存在し、それが秩序ともなる。男性と女性の関係は主体と対象の関係にあり、主体である男性から対象である女性は愛を受けて、その愛に応え美を返す。勿論夫婦間一体化すれば逆もありうる。男性を主管しまくり従わせて女性の本当の幸せはあるのだろうか。賢い女性はそうしないでしょう。
私の学生時代は学生運動の全盛期だったが、学生が学長や教授を吊し上げ自己批判させる姿は主管性転倒のいい例だ。又、昔中国の毛沢東が紅衛兵と呼ばれる若者を扇動して文化大革命を起こした。紅衛兵は政治家、学者、宗教者、資本家、芸術家、科学者などを縛り上げた、首には人民の裏切り者という看板をぶら下げさせ、街を引きずりまわし大衆の前に見せしめにした。これも主管性転倒だ。この主管性転倒は家庭の親と子、兄弟間、夫婦間でも学校でも、社会でも、会社でも団体でも国会でもよく見られる現象だ。

(4)罪の繁殖
エバが天使長ルーシェルの誘惑によって堕落し罪を犯した。エバは自分の罪をアダムにも繁殖させ、アダムをも堕落させてしまった。統一原理にはエバが堕落した後、自分の罪をアダムに繁殖させなかったならば、アダムは堕落しなかったであろうし、エバだけの復帰(救い)ならば容易だったはずであると記されている。
昔「赤信号皆んなで渡れば怖くない」という言葉が流行した事がある。何か犯罪を犯す時、自分だけに留めず、仲間を増やして一緒に犯罪を犯すのが世の常である。罪の繁殖、これは堕落した人類始祖アダム、エバから受け継いだ堕落性本性である。
最後に、罪を犯したアダムに神様はあれほど取って食べるなと戒めを与えたのに、なぜ食べたのかと問われた。アダムの答えはあなたが私に与えたエバが私にくれたので食べたのですと言った。そこで神様はエバに問い詰めて、なぜとって食べたのかと言われた。エバはあの蛇が私を騙したのですと責任を転嫁した。この責任転嫁も私達人間がよくする事だ。

16歳の時この統一原理に出会い、6000年以上前の聖書の失楽園の物語は夢物語にしか最初思えなかった。しかしよく自分の心の中を吟味してみると、不思議と人類始祖の失楽園の物語は堕落性本性として自分の中に受け継がれているのを発見し、驚きを隠せなかったのが、この堕落論の堕落性本性の部分だ。私は神様にこの原罪と堕落性本性を取り除く道があるなら何でもしますと祈らざるを得なかった。

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