画像_ROMA

目を細めて遠い記憶の情景を メキシコ映画「ROMA」

今回は同じ時期に見た韓国映画「ペパーミントキャンディ」と一緒にお送りすることにしました。
なぜなら「あの頃はよかった」と懐古的な部分が共通しているから。でも、その内容も伝えたいことも、映画表現というものは同じなのに、こうも違うかと。
是非、比較しながらお読みください。

誰にでも、目を細めてぼんやり思い出す、「あの頃はよかった」と思える時や場所があると思う。歳をとればとるほど、思い出すことの数は増えていって、絶対に戻れないとわかっていながらも僕たちは目を細めることしかできない。

本作「ROMA」は、アルフォンソ・キュアロン監督の自伝的映画であり、つまり、監督が目を細めながらみる遠い情景を僕たちに見せてくれる。舞台は、メキシコシティ。限りなく上流階級にちかい、普通に暮らす家族を、住み込みの家政婦であるクレアを中心に描く。これ本当に「限りなく上流階級にちかい、普通に暮らす家族を、住み込みの家政婦であるクレアを中心に描く」という言葉ですべてを語れるほどの内容なのですが、何しろ画が美しい。監督の追憶であるからモノクロ映画らしいのだけれど、モノクロでこんなに豊かに人や、情景が描けるんだなぁと。

アルフォンソ・キュアロン監督といえば、メキシコ出身の映画監督で、「ハリーポッター アズカバンの囚人」や「ゼログラビティ」を撮った。直近のゼログラビティからすると、また、違う映画を撮ったなぁ、という印象で、SFちゃうんかい、ってなってる人もいるとかいないとか。

目を細めて遠い過去を思い出すことはどんな人にもあって、「戻りたいなぁ」と思うのは世の常。でも、そこに付随するのは、あるいは、「もう見たくない過去」というもので。監督にとっては美しい過去の情景であったとしても、主人公クレアの視点に立てば、思い出したくない出来事がこの映画には描かれている。でも、目を背けたくなるような失敗・失態・事件だって、「今」の自分を形成している。むしろ、すべての物事がうまくいっているようなときには学びや気づきが少なくて、顔面から転んで一生消えないような傷が残った出来事があればこそ、人にやさしくできたり、自分にもやさしくできたり。この映画は、美しく描き切ったらこそ、誰にでもみれる映画になりながら、その目を背けたくなる事実をも個人の形成物となることを観客にみせてくれる。

家族って何だろう。
家族と住んでいれば誰だって考えたことがあることなんじゃないかと思う。
この映画は「家族はどのような関係性をもって家族と呼べるのか」ということも考えさせてくれる。家族がいる人が見れば、家族の存在を良くも悪くも再確認できる。そんな状況にいない人も、考え方ひとつで、広義な家族としての関係性があれば生きていけるんじゃないかと、そういう思いを持たせてくれる映画でもある。

映画を見た後に、自分がいま持っているもの/過去に持っていたものを再確認して、先に進めるような後押しもしてくれるんじゃないかなぁ。映画をみたって何にもならないんだけれども、映画から勝手に何か癒しとか自分が進める価値みたいなものを得るのも勝手にしちゃえばいいと、最近思います。
思い出したり、確認したり、自分の立ち位置を見直すのに、すごくお勧めの映画です。
あの時顔面から転んだから、今の自分があるなぁと自分で思ってます。転んだらすっごい痛いけどな。

「ROMA」(アルフォンソ・キュアロン監督、2018年公開、メキシコ・アメリカ映画)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?