機械的に動く私にも人間味は隠されているの。

機械的に動く事で安心を覚えようとする。

臨機応変に対応するとか、人とコミュニケーション取るのが苦手とか、その都度変えていくことができない私は正解を探すように毎日を生きている。

気がする。

今日も昼間からコールセンターでいっぺん通りな会話。
働く人とのコミュニケーションはまさしく「型にはめたもの」。盛り上がりもなければ面白くもない。

人に話しかけてもその後に続く言葉が見つからない。正解を探すから、そりゃ当たり前だ。

何事にも怯え恐がる私にはそうする事で安心感を得て、前に進む勇気を残している。

もはやこの機械的なスタイルを自分に合うやり方と受け止めてはいるが、やっぱり面白みには欠けるし、他の柔軟にコミュニケーションや対応がとれる人を見ると落ち込む。

だけど私には恋人なり友人なり大切な人がいて、その人に対してはあまり機械的でなくいられる。

それならそれでもいいのかな。

勿論願わくば水が流れるように柔軟で面白くありたいけど。

今私が在れる最善でいられたらいい。憧れのあの子になれなくとも私であれたらいい。

機械的な私しか知らない人が大半であっても、人間らしい私を知る人が何人か居れば大丈夫。

そう堂々と思い、発言できるといいな。

久々のnote投稿だけど、自分への言い聞かせも込めて書き記してみました。

夕方からも頑張るどい!

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