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懐かしい日々

なんか色々、載せようと思うけどいざnoteを開こうとすると忘れていることが多い。
お客さんと話していてもちょっと前まで話していたのに場所の名前が出てこないことや芸能人の名前が出てこないことがよくある。
学生の頃は頭が悪かったというより
勉強への意欲が全く無かった。
中学生の時は歴史の教科書の偉人達の眉毛を繋げてみたり鼻毛を出したり毛量を増やしてあげたりと
やりたい放題、落書きしていた。

ある日、一生懸命に落書きしている姿を先生に見られた。
先生は私が落書きした偉人の横に吹き出しを書いて
やめなさい。と落書きした。
私はすみません。と小声で言いながらペコっとした。
ただ、それでも私は偉人への落書きをやめなかった。

私は静かな人間だったからか
見た目は真面目そうで頭が良さそうに思われていた(友達談)

本人曰く
そんなわけがない。

テストではテスト勉強というものをやる気がなく
してなかったからか点数はどれも見事に赤点だった。
テスト中はなんとなくで問題を解いて(解けてはいない)
問題用紙の隅や裏に落書きをして
バンドのロゴやマリリンマンソンの顔にスポンジボブ、ラットフィンク等のアメキャラ達を敷き詰めて描いていた。
それでもまだ時間があると机に身体を預け寝ていた。
そんな私でも唯一、成績が良かったものが

体育だった。

小学生の頃から近所の友達のお兄ちゃん達にバスケを教えてもらっていた経験でバスケ部に入部したけども先輩関係のいざこざに巻き込まれるのが面倒で辞めた。
ただ球技大会では帰宅部のくせしてバスケ部並みにバスケで活躍した。
スラムダンクの三井のように3ポイントが絶好調に入っていた。
足も元々、速い方で毎年リレーの選抜と市のリレーメンバーに帰宅部ながら入った。
担任の先生は「〇〇は運動神経良いのに帰宅部なのはもったいないと」言っていたのを覚えている。

そんな運動しか取り柄のない私が運動のなかでも
苦手だったのが水泳。
いくら他の運動ができても水泳で泳ぐのが苦手だったためその分、評価は下がった。
あまりにも水泳が嫌すぎて
毎回のように体調不良を言い訳に休んでいた。
たまに入ってもバタ足で攣り半分溺れていた。
そんなわけで水泳の授業は補習になった。
それでも休んだからか体育の評価も下がり
全体的にやばい状況になり中3の時に友達の通っていた個別指導塾に行かせてくださいと母を説得し
なんとか私も遅めの塾デビューを果たした。
ただ塾に入っても、ちんぷんかんぷんすぎて
当の本人が勉強に全くやる気が無く何を教わっても上の空だった。
母には「あんたは右から左やな」とよく言われた。

そんな頃、息抜きに(何も息抜きするようなことしてないけど)
なにか映画でも観ようとTSUTAYAに行った。
そこで目についたのがドラゴンボールシリーズだった。
私は手にとってしまった。
とりあえず見てみようと…
確か最初に1本だけレンタルしてみた。
まんまとハマり
母にオススメして最初は興味なさそうにしていた母もハマった
その後に妹も父もハマって家族みんなで大ハマりした。
特に妹は『魔神ブウ』が好きでグッズやら持っていてブウの絵も上手い。
その時飼っていたハムスターの名前もブウだった。
ブウはおっとりした性格で人懐っこく可愛かった。

私は受験勉強よりドラゴンボールを見ている時間の方が長かった。

結局、受験の合否は定員割れでなんとか入れた感じだった。
そこからがまた大変なんだけど、また後々

長くなってしまったから続きはまた次に
とりあえず、この辺で。





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