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葵 台北の日日

5月19日、台北のBRAND Tにて
葵が撮影したBEN DAVISのLOOKのお披露目と展覧会が行われる。
来場者には先着でLookbookもプレゼントされる。

その、Lookbookにも記載してある米原康正による葵の文章をここに記載する。

葵の写真とSNS

僕が彼女に興味を持ったのは彼女の撮る写真からだ。彼女の写真を見た瞬間、僕はかなり積極的に彼女と関わらせてもらうようになった。グループ展に出演してもらい、自分の持っているメディアにも登場してもらい、作品を作ってもらった。
最初に見た彼女の写真。それは彼女の高校時代の記録である。1年の時の同級生たちを3年間取り続けた写真には、彼女と同級生たちの徐々に築かれていく関係性が、はっきりと映し出されていた。そこに僕は本物のドキュメントを見た。
1997年に僕がプロデュースして創刊した「OUT OF PHOTOGRAPHERS」という雑誌で、僕は「これからの写真で最も大切なのは写真家とモデルとの関係性である」と訴えた。写ルンです、を使って撮った写真たちは、写す側と写される側という立場を必要としない。あるのはそこにある関係性であった。
2000年代に入るとデジタルが主流となり、写真はSNSの中で溢れ出す。もちろんSNSの進歩は写真をより身近なものにした。SNS初期には、生活の瞬間を切り抜いた写真が大多数を占めた。僕はSNSに嫉妬した。僕のやっていたことがここで完結したかに思えた。
ところが、時間が立つにつれ、SNSの中の写真は、SNSのための写真になった。そこにあるのは日常ではなかった。
そんなある日、僕は彼女の写真をSNSで見た。その瞬間僕は彼女の写真表現に1997年に僕がやりたかったことの未来を見た。そしてそんな写真を簡単に撮ってしまう彼女に激しく嫉妬した。
ただ彼女と関わっていくうちにひとつ心配だったことがある。それは高校を卒業して、制服というアイコンがなくなっても、同じようなエモ感のある写真が取れるのか? ということだった。だけど、それは単なる危惧でしかなかったことがわかる。

エモ(エモい)感とは何か?

「エモい」とは葵の写真が評価される時一番多く目にする言葉だ。
Googleで検索すると「エモい」とは
「心が揺さぶられて、何とも言えない気持ちになること」
「 この言葉には、嬉しい・愛しいという気持ちだけではなく、寂しい・懐かしい・切ないという気持ちや感傷的・哀愁的・郷愁的などの気持ちも含まれる」と書いてある。

僕らは一瞬一瞬の今を積み重ねていくことで人生というものを組み立てる。
その一瞬はあっという間に過去になる。
その一瞬を捉える写真を撮るという行為は
今という過ぎ去っていく過去を切り撮る作業に他ならない。

葵は写真を撮る時ポーズではなくモデルに今を感じてもらうように指示をする。
彼女の写真はモデルが写真を撮られるのではない。
モデルの今を葵が切り撮るのだ。
葵はそんなモデルの今にいつだって恋をする。

それは葵が高校の写真以降、自分の写真をいつの場合でもドキュメントとして完成させようする行為でもある。

今は切り撮られた瞬間に過去になる。
過去の恋はいつも甘酸っぱくて切ない。

それが葵の写真が「エモい」理由なのだ。

2023.4.25. 米原康正

BRAND T
台北市萬華區昆明街96巷17號


5月20日はディレクションを務めた米原康正の誕生日でもあるため、アフターパーティー兼BIRTHDAY BUSHがDRUNK PLAYで行われる。

DRUNK PLAY
松壽路12號 ATT 4 FUN 11樓

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