「特別な私」症候群とプロのライター

プロの原稿とアマチュアの原稿のいちばん大きな差は、ぶっちゃけ「内容」だ。文章力でも構成力でも人脈でも人柄でもない(そこの差もまったくないわけではないけどね)。

編集ライター講座で講師をやっていると、「いくら文章を気張って書いても、この内容の薄さだと、どうあがいてもダメ!」っていう原稿があがってくる。

「どう推敲すればいいのか」とか「やわらかい文章が書けなくて困ってます」って相談されても、「いや、そのまえに内容がないよ」ってのが問題だ。

「なにをどうどのぐらい調べればよいのか」が判っていないのだ。

というよりも、「調べる」ことがピンと来てない。

「南の島に六回も旅行したので、それについて書いて本を出したい」といったタイプの発想で、ライターや編集者になれると思っている人がけっこういる。

そして、問題をややこしくしてるのは、たまーーーに、「南の島に六回も旅行したので、それについて書いて本を出したい」で、出せちゃう天才(もしくはある種の強運の持ち主)もいなくはない、ということだ。

いや、実は、たんなる天才や強運ではなく、それ以外の要因が絡んでくるのだが、ややこしくなるので、それについてはまた別の機会に。

で、そういった人に憧れたり、そういった人ができてるんだから私も、と思ったりして、それでまんまと書いてみて、どうだ、って出して、さしてリアクションがもらえなくて、玉砕する。

玉砕するならまだしも、ちょっと人気が出て、お、いけるかも、と思って、狭いサークル内でぐるぐる回り出すと、またややこしくなる。

「特別な私」症候群である。

島田雅彦『小説作法ABC』の15ページに、こういう文章が出てくる。

“小説のみならず、あらゆる表現活動を行おうとする際、自分の無意識のパワーなどというものを過信してはなりません。この<特別な私>が主体であれば、カメラのシャッターを着れば自意識が反映されたすばらしい写真が撮れ、舞台に立てば魂の叫びが観客の心を打つ演技表現になる……などとは、ゆめゆめ思ってはならないのです。”

思ってしまうのだ。しかも、自分はそんなこと思ってないと思ってるから、ややこしい。

承認欲求の空回り、暴走熱でオーバーヒートして、おかしなところに行ってしまう。

そこで、だ。
「なにをどうどのぐらい調べるといいのか」を知りたければ、近藤正高の『一故人』を読むがよい。

ライターの近藤正高が、二○一二年から二○一六年の著名な物故者23人を振り返る本だ。

訃報が流れ、一ヶ月もしないうちに資料を収集し、ひとつの切り口でまとめあげる。
一項目、およそ10ページぐらいのコンパクトな形だ。
各項の最後に参考文献がズラっとならぶ。

しかも、調べた資料をダイレクトに使って、それを巧みに再構成して新たな視点を提示するという近藤正高のスタイルは、彼が何をどう調べたのかを読者が推測しやすい。

これらの情報を自分が得るためには、どれだけの時間をかけて、どのように、どれだけ調べる必要があるだろうか。
何かを表現したいと考える人は、それを想像しながら、読んでみるといい。

ここからは告知。
近藤正高と、ぼくは「エキレビ!」に共に書いているライター仲間。
なので、近藤正高が、何をどう調べているのかを、直接聞き出すイベントをやるよ!

5月9日紀伊国屋新宿本店で『一故人』刊行記念 近藤正高×米光一成トークイベント『ネットにない情報の探し方」

『一故人』の「蜷川幸雄」の項を具体的な材料として、「実際に何をどう調べて」「どのぐらい時間をかけて」「どう取捨選択して」「どう書き上げたのか」を聞き出そうと考えています。

出版イベントというこで、参加料も500円と激安。

ぜひ、来るがいいよー。

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