クニツィア、カナイセイジ、健部伸明が審査員を辞退

クニツィア、カナイセイジ、健部伸明がYoka Gamesの世界オリジナルボードゲームデザインコンテストを辞退した。

Knizia氏がYoka Gamesのコンテスト審査員を降りた話(双六小僧の新・ボードゲーム放浪記)に詳細のリポートがある。

Yoka Gamesの「三国殺」は「Bang!」のコピーゲームだとアメリカで訴訟になるが、ルールは著作権の保護対象ではないので販売停止を認められなかった。ということがあった。

ゲームのひとつの肝は、ルールおよびシステムであることは明白だ。が、著作権的にはアイデアやルールは創作物と認められず保護されない。

もともと絵画などの権利を守ることから著作権が生まれたがゆえの歪み、がここにある。
たとえばファッション業界だと、なぜか洋服のデザインは著作権で保護されない。洋服をまるまるパクっても著作権的には問題ないのだ(だから、有名ブランドの服をパクって堂々と出すところがたくさんある)。
ところが洋服をデザインするためのデッサンであれば著作権的に保護されるのだ。
アイデア軽視の傾向は、当時の絵画が、そこに価値を置いていなかったことを反映しているのだろう。

こういうときに有効なのが、法律としてはOKだが規範としてはOUTだよ、というコミュニティや製作者のスピリッツだ。
今回の件も、ルール的(著作権的)にはセーフだが、ゲーマーシップ的にはアウトだから、それを認めるような行動はゲーマーマンシップに則ってできないよね、という流れだろう。(ゲームズマンシップと言いたいところだが、この用語は一部で歪んだ使われ方をしているので誤解をさけるためにゲーマーシップと書いた)
こういった問題が起こると、ネットで頻発するのは「法律的にOKかどうかだけをジャッジしようとする流れ」。これはアサハカだろう。
社会に敷衍して言えば、法律は違反していないが道徳にはまずいよね、というような基本的な(だが曖昧で時代や場所によって変化し、常に問い続けるべき)問題だ。
著作権とコミュニティによる規範の問題は、カル・ラウスティアラ 『パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する』がめちゃくちゃよくまとまっていてオススメ。

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