思考停止フレーズ「1コンテンツは1テーマで」「一文一意で」にはうんざりしている

ときどき「一文一意で」みたいなことを解く文を見る。1文は、まだかろうじて数えられる。句点までが1文だと言えるだろう。だが1意とは何だ。意味が1つ2つと数えられるのか。数えられない。

いや、五百歩譲って、数えられるとしよう。頭をポカンとさせて、文章が単純に端的に示す意味しか存在せず、1つ2つと数えられるとしよう。

たとえば、こうだ。

ぼくは大学生です。

これが一文一意だと言いたいのだろう(ほんとうは、いろんな意味が読み取れるはずで、一意なんてことはないのだが)。

ぼくは、大学生で、名は太郎です。

すると、これが2意か。「ぼくは大学生です」「ぼくの名は太郎です」の2つの意味を、1文で記している。これは悪文だろうか。

ぼくは、大学生です。名は太郎です。

と2文にすべきだろうか。

ぼくは、太郎、大学生、20歳、趣味は手品です。

これは、一文四意で、一文一意にするには、

ぼくは太郎です。ぼくは大学生です。ぼくは20歳です。ぼくの趣味は手品です。

とでも書くべきなのだろうか。

ぼくは、大学三年生で、名は池田エライザです。

この文はどうだ。ぼくは大学生であり、そのなかの三年生であり、池田エライザと名乗っているが、ぼくは、って言ってるし、池田エライザじゃないし(おそらく)、池田エライザは大学三年生じゃないし、つまりぼくは嘘つきだという意味も入り込んでいる。いろんな意味がここから読み取れる。

「1コンテンツは1テーマで」も同様だ。コンテンツ(内容)を1つ2つと数えてる時点で意図不明だ。
DVD1枚が1コンテンツだろうか。10枚組ボックスは1コンテンツだろうか10コンテンツだろうか。
1冊の本が1コンテンツか。では、その本が連載されているときの1回ぶんの記事は1コンテンツではないのか。1コンテンツが何かは恣意的に可変可能だ。
テーマを1つ2つと数えるにいたっては、もはや「あなたの愛っていくつあるの!?」と錯乱している絶叫にも等しい意味不明ぶりだろう。

コンテンツを「ひとまとまりの内容」という意味で使っているとしたら、「1コンテンツは1テーマで」は、「ひとまとまりの内容は、ひとまとまりの内容にしましょう」と言ってるようなもので、何も言ってないに等しい。

「1コンテンツは1テーマで」「一文一意で」等の思考停止フレーズが、文章ハックや創作ハックとしてうんざりするほど繰り返しコピーされるのは、わかりやすいからだろう。

「とっ散らかった文章は読みにくい」「言いたいことが絞られてないコンテンツは見苦しい」という感覚は、誰もが持っている。それをちょっと偉そうにすると「1コンテンツは1テーマで」「一文一意で」なんていう言い草になる。

何か言うた気になれたり、何か学んだ気になれる。

というわけで、この1コンテンツは、5テーマぐらいぶっこんで、散らかった文章にしてやった。うきききききー。

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