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Y:34 得点じゃなく、ストーリーが必要なんだ

大学の新学期の初めの講義ではオリエンテーションをする。授業の内容や成績の出し方等について、前もって学生に知らせておく。学生の成績に対する執着はすさまじく、しかも、自己評価が高い学生が多いので、学期終わりに「どうして、私がこの成績なんですか」と抗議をする学生も出てくる。

勉強熱心な学生からの抗議ならこちらも多少、"その気持ちもわかるけどね…”なのだが、往々にして抗議するのは、熱心ではない学生が多い。そして、点数というものが、"あげたって、減るもんじゃないでしょ”的な発想で、点数をくれない教員に対して、"あなたは、何でそんなにケチなんですか”的に思う学生もいる。とにかく、何でもいいから成績(得点)がほしいのだ。

私からしたら、大学なんかは特に、何を学ぶかが大事で成績はある意味ではおまけのようなものと思うのだけど彼らには通じない。好成績が、良い就職を導くとのことだ。

学生の成績に対する執着を見て、ふと、『スーパーマリオブラザーズ』のことを思いだした。

私はそれほど、ゲームをしてきた人間ではないのだけど、『スーパーマリオブラザーズ』(以下、マリオ)というゲームが好きだった。私が小学生の頃のゲームだ。うちは、ファミコンがない家だったので、ファミコンのある友だちの家に行っては、友だちがプレイするのを見て、たまに、やらせてもらったときには、下手くそであっという間にプレイが終わってしまったのを覚えている。

知らない人の為に動画を貼っておく。


どんなゲームかというと、Wikipediaによるとストーリーは

「キノコ王国」がクッパ率いるカメ一族に侵略され、キノコ王国のお姫様ピーチはクッパにさらわれてしまった。配管工(大工)の兄弟マリオとルイージはピーチを助け出すため、クッパが率いる敵たちを倒して陸海空を突き進み、いざクッパがいる城へ向かう。

プレイヤーの目的は、

ステージの中で敵や障害物を避け、また穴に落ちないように気をつけながら、制限時間内にゴールの旗へたどりつくことである。

で、このステージが30近くあり、徐々に難しくなっていく。

youtubeを見ると分かるのだけど、画面の左上に「MARIO」とあって、その下に6桁の数字がある。これは「得点」だ。ゲーム中に敵を倒したり、アイテムを取ったり、ステージのクリアの仕方により得点が決まる。

ただ、この得点はゲームの目的に直接的な関係はない。得点が低いから、ステージがクリアできないということはない。高くてもそれが、ゲームの進行に有利に働くということもない。

で、子ども心に、いつも思っていたことがあって、”この「得点」ってなんのためにあるんだろう”ということだ。当時、私や友だちの間では、得点の高い低いは、ほとんど注目されていなかった。大事なのはどれだけ、ステージをクリアできたか、最後のボスに近づけたか、クリアできたかだった。

大人になってわかったことは、この得点の意味は、ある程度、上手なプレイヤーがクリアすることは簡単にできるようになって、その後、いかに高得点でクリアできるか、いかにテクニックがあるかを示すための指標なのだと。高いと名誉があると言えるかもしれない。

それで、冒頭の話に戻るのだけど、私から見ると、学生はマリオでいう「得点」ばかり気にしているのだ

マリオをした人なら分かってもらえると思うが、ステージ1でどんだけ高得点を取ったって、そのステージで死んでしまっては、何にも意味がない。それなら、最低得点でも最終ステージまで行って死んだ方が、プレイヤーとしては上手だし、周りからも認められる。おそらく、プレイしている当人も楽しいだろう。

何で学生が「得点」ばかり気になるのだろうと考えると、きっと「ストーリー」が希薄なんだろうなと。マリオでいう「敵を倒して、お姫様を助けに行く」。これが彼等の大学生活(講義)の中には見えないのだ。

「ストーリー」って何なのか、私なりに定義してみると、

ある始まりと終わりがあって、その2点が必要性という流れがつながっている。そして、その流れの中に「感動」があること

なのだと思う。ここで言う「感動」はじーんときたというよりは、もっと単純に、喜怒哀楽に心が振れるという意味で、感情が動くということだ。

もちろん、好成績を取り、いい仕事につくことがストーリーになる人もいるかもしれないが、それは自分のストーリーというより社会的に設定されたストーリーだろう。

私が大学院生の時、いつの頃からか「ストーリーが大事だ」「ストーリーが見えない」みたいなことをよく聞いたり、言うようになった。最初は何を言ってるのかわからず、研究に物語(ストーリー)って何だよと思っていたが、最近、思うのは「ストーリー」がないと、他人(もしくは自分にも)に響かないということだ。

「その研究の意義って何ですか?」という、院生泣かせな質問も、言い換えれば、「そこにストーリーはあるのかい?」ってことなのだと思う。

最近の教育分野における教授法の流れも「ストーリー」の重視なんだと自分の中で腑に落ちた。ストーリーは、動機や真正性を支えるのだろうと思う。

本来はストーリーって個々にあるべきものなのだけど、一斉授業だとそのあたり、最小公倍数的なストーリーの設定になるのだろう。個々に設定した方が、感動が大きいと思う。

学生にはマリオのように「ピーチを助けに行く!」みたいなストーリーを見出してほしい。もちろん、私も彼らがストーリーを見つけられるように、日々の授業をしなければならないし、授業そのものにも、いつも「ストーリー」が必要だと思っている。

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