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Y:38 うれしかったこと

うれしいことがあった。

ちょっと前のnoteに、スープを作り始めたことを書いたのだけど

それに対して、『スープ・レッスン』の著者の有賀薫さんからコメントをもらったのだ。

noteでコメントをもらうことは珍しいので、それだけでも、うれしかったのだけど、自分が読んだ本の著者からコメントをもらうという経験が初めてだったので、驚き感激があった。

思わず、返信のコメントで有賀さんのnoteを読んで、夏休みにTOTOのギャラリーに行ったことや、キッチンに小さいテーブルを置いて、ミングルもどきをしてる等々、影響を受けまくってることを長々と伝えたくなったが、そのコメントを読まれるかもわからないので、お礼だけ書いておいた(笑)

想像していたわけではないので、こういう表現は変なのだが、想像以上に、この出来事がうれしかった

そして、このうれしさと共に昔の記憶がよみがえった。
小学校1年生の頃、、文房具屋で指サックを見た時に、当時は使用用途が分からず、私が「これは指のヘルメットだね」と言ったら、文房具屋の店主がその表現を、えらく面白がってくれて、ご褒美に緑のペンをくれた。それを誇らしげに家に持って帰り、親に得意げに自慢したことを思い出した。

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この思い出は私の中で初めて自分のcreativityが、親や先生ではなく、第三者に評価された初めての経験だと思うのだけど、この経験が30年以上経っても、思い出されて、誇らしい気持ちにしてくれる(笑)

そんなに、おまえの人生評価されてきていないかと思われるかもしれないけど(笑)、そうではなくて、評価されようとしたわけではない自分のcreativity を、何も評価する義務もない人が「いいねぇ」と言ってくれることって、上質の「うれしい」なんだと。それが、私の人生ではあまり経験がなかったことなのだ。

文房具屋のおじさんにしても、有賀さんにしても何気なくコメントしたのだろうと思うけど、コメントをもらった方は、けっこうなインパクトなのだ。おそらく私は指サックの思い出を今後も忘れないだろうし、有馬さんのことは、今以上に意識して追いかけるようになるだろう。もうファンになっている(笑)

よく、子どもを褒めて育てた方がいいという話を聞く。私は子どもがいるわけでもないので、何もわからないのだけど、「褒められる」というよりも「喜んでもらえる(楽しんでもらえる)」、そういうフィードバックが、記憶に残るんだなぁと。大人になってから思うようになった。

「褒める/褒められる」ってどこか上下的な構造があるんだと思う。褒めた側がそういうふうに思ってなくても。子どもも、そんなことを理解はしていないだろうけど、子どもって基本「下」側だったんだなと。「喜ぶ(楽しむ)/喜んでもらえる」ってそのあたりフラットに近いのかなって。もちろん褒められることが嫌ではない。それも、うれしいのだけど、下側ではないフラットなフィードバックは子どもながらに、新鮮だったのかもしれない。

私も誰かのcreativityを楽しんだときは、それを伝えられたらなと思う。

追記:noteというプラットホームにも感謝。どこかのブログサービスではなく、noteに書いていたことで、有賀さんに読んでもらえたと思う。この一件で、noteに書き続けていこうとさらに思うようになった(笑)

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