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涙雪


涙雪 


 もうじき年が明ける。
 この時期になると特別淋しさを感じるのは、寒さの所為だけではないことを僕は知っている。
 村へ向かうバスの中で僕は思い出していた。小さい頃に見た幽霊のことを。
 微弱な振動が、一番後ろの座席に座っている僕の尻を揺らしている。窓の上には、古くなって変色した広告が貼り付いている。退屈を紛らわせるために、その広告に目をやるが、乗物酔いの所為で、三分と経たないうちに、読むのを止めてしまった。
 バスの中は暖房が効いていて、頬がぽぅっとするほど暖かい。外は想像するよりも遙かに寒いはずだ。窓についた大きな水滴がそれを証明している。暖房のせいだろうか、それとも空気が悪いせいか、偏頭痛がした。頓服の薬を飲む。抗うつ剤としても用いられている薬だ。副作用が強いので、本当は飲みたくなかった。
 退屈な気分を助長するかのように、バスはゆっくり走っていた。外の景色はほとんど変わらない。一枚の絵の中に棲んでいるような気になってくる。
 僕の他に、乗客は一人だけ乗っていた。ぼろをまとった蓬髪の老婆だ。うつむいたまま動かない。死んでいるのではないかと密かに思った。
 運転手の割れた声が、古いスピーカーから流れてきた。このバスは本当に走っていたのだと、当たり前のことに感心した。退屈すぎて脳髄がとろけてしまったか。
 相変わらず、外の景色は変わらないが、着実に目的地へと近づきつつあることはわかっていた。生まれ、そして一八歳まで過ごした村。
 曇った窓硝子をこすった。何度こすってみても、曇りは解消できない。曇った硝子越しではなくて、もっとハッキリ外の様子が見たかったが、僕は諦めて降車ボタンを押した。傍らに置いた鞄を引き寄せる。
 ボタンの音に驚いたのか、老婆が急に顔を上げた。落ちくぼんだ冷たい瞳が、ジッと僕を見据える。どこかで見たような気がしたが、気味が悪くて直視できない。僕を見る顔は、あまり友好的ではなく、いくらか怯えたような顔だった。その顔を見ると、深く刻まれた皺と蓬髪の所為で、こちらが怯えてしまう。
 老婆が薄い唇をすぼめて何か言った。言葉が樸に届く前に、バスは大袈裟な音を立てて止まった。老婆の言葉は結局、僕の耳に届くことはなかった。

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