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台湾と日本の建築事情を考察することから展望する建築の未来


建築的未來式─ 台日新銳建築師交流論壇(台湾と日本の若手建築家による交流のフォーラム)に登壇し、現在の台湾を象徴するいくつかの建築を巡る中から、日本と比較しこれからの建築のありかたを考えてみた。

台湾と日本の若手建築家による交流の場 -建築的未來式─ 台日新銳建築師交流論壇-

先日、「建築的未來式─ 台日新銳建築師交流論壇」が開催され日本からEurekaの稲垣淳哉氏と共に登壇させていただいた。

台北の忠泰美術館で開催されている平田晃久氏の個展「HUMAN NATURE/人間自然」の関連企画として台湾と日本の若手建築家が互いにレクチャーを行い建築の未来を考えディスカッションを通して交流を深めることを目的としたフォーラムだ。
フォーラムは日程の異なる三回で構成されており、日本からは、初回に増田信吾氏と千種成顕氏、二回目は高橋一平氏と中川エリカが登壇しており、今回が最終回となる。

台湾と日本の交流の過去、現在、未来

フォーラムの冒頭、司会を務める中原大学の曾光宗教授から、建築界における台湾と日本の交流の歴史として1985年に開催された「開東合西」が紹介される。

日本からは、木島安史、象設計集団、六角鬼丈、長谷川逸子、毛綱紋太、伊東豊雄、石山修武、山本理顕、高松伸、台湾からは、台北のランドマークである「台北101」の設計者としても有名な李祖原の名前が見られる。

当時、日本ではポストモダニズムが隆盛を極め、それとは対比的に台湾ではモダニズム建築が主流であった。

あれから34年の時が経ち、経済情勢の激変、度重なる災害など社会変動を経て、両国の建築の状況はどのように変わったのかというプロローグが語られるとともに、「開東合西」を継承するかのような交流が期待された。

以下に、各登壇者によるレクチャーを紹介する。

陳宣誠 作為修補的生産

陳宣誠氏によるレクチャーでは、関係性、変形、連結、ネットワーク、協働といったキーワードとともに、コミュニティの拠り所となるような移動や変形が可能な小建築を公共空間にインストールするといったタクティカルアーバニズム的プロジェクトが語られた。

辜達齊 生活場域的創作

辜達齊氏によるレクチャーでは、コンテクストの掘り起こし、記憶の再建、人工と自然の間といったキーワードとともに、綿密なリサーチを基に各プロジェクトを歴史的な変遷、環境の循環といった流れの中に位置づけ、中古コンテナを用いたバスケットボールコートや人工的なランドスケープとしてのスケートボードパークなどの設計を通して、地域社会に果たす役割という観点から広場を再考し、住民参加による多様な考えを調停しつつコミュニティの場を創出するといったプロジェクトについて語られる。

賴人碩 試験性的活動介入

賴人碩氏によるレクチャーでは、人、ライフスタイル、時間、実践、企画運営、シェア、近隣との関係、町に開くといったキーワードとともに、屋根が崩壊し荒廃した古い建物を、上階は9つの建築設計事務所が入るシェアオフィス、下階は町に開かれたオープンな空間としてリノベーションし、自身の設計事務所もそこに構えるかたちで、場に入り込み自ら運営するといった実践を通して短期、中期、長期の各フェーズにおいて建築の文化的価値を発信するプロジェクトについて語られた。

稲垣淳哉 New Vernacular : Architecture of Collectivity 共同性がつくる新しい建築の土着

稲垣淳哉氏によるレクチャーでは、「New Vernacular : Architecture of Collectivity 共同性がつくる新しい建築の土着」というテーマのもと、これまでのヴァナキュラーが対象としてきた自然環境や歴史的慣習のみならず、近代以降の都市状況、多様なライフスタイル、異なる身体性などを丁寧なリサーチによりキャッチアップし、コレクティビティとして建築に幾重にも織り込んでいくという設計のスタイルを示し、建築における新しいヴァナキュラーのありかたが提示された。

米澤隆 同時多発的建築

米澤によるレクチャーでは、「同時多発的建築」をマニフェストとして提示し、2極、3極、多極へといったように建築に内在する極数という軸でプロジェクトを紹介するとともに、「異種共存性・過渡期性」、「群像」、「多義性」、「空間系」、「オープンな設計手法・データバンク化」といった建築概念を展開する。

シンクロするイシュー

台湾の若手建築家のレクチャーから浮き彫りになった、地域に入り込む、コンテクストを掘り起こす、協働、コミュニティ、関係性、住民参加、シェア、町に開くといったことは、現代の日本の若手建築家の考えや活動と共通点が多く、これほどまでにシンクロしているものかと驚くほどだ。

具体的活動と抽象概念

その後のディスカッションでは、

コメンテーターの市川紘司氏は、台湾の若手建築家によるレクチャーは、身体性や実感の伴ったより具体的なものであるのに対して、日本の若手建築家のレクチャーでは、設計活動を通して、独自の言語を創出したり思考の抽象化を試みていることを差異として指摘する。

日本には、僕の経験から言っても「U-30 Under 30 Architects Exhibition」、「JA86 Next Generation -Manifestations of Architects Under 35-」、「4×4 / Under40 Over40」、「1981年生まれ世代の建築家像」など先行世代と比較、相対化しステートメントを発する場や世代間における相互批評の場が多くあることがあげられ、それらを通して言葉にすること、独自の建築概念を創出することを修練されたという側面がある。
またそうした動きとも関連しているかと思うが建築家の明確な系譜が存在する。
「U-30 Under 30 Architects Exhibition」での伊東豊雄氏とのピュアさと多様性を巡る議論や「4×4 / Under40 Over40」での平田晃久氏との部分と全体性を巡る議論など自身の具体的な体験とともに紹介する。

そのことを受けて、曾光宗氏は、台湾の建築界における相互批評の欠如と言語化の必要性を語る。
東京大学で博士号を取得し日本の事情にも詳しい曾光宗氏としては、両国を相対化することで、台湾の建築界のさらなる発展を模索しつつ若手建築家にエールを送るかたちとなった。

地域に寄り添ったソーシャルな活動と国際的なビッグプロジェクト

教育について、研究について、会場も交えて幅広い議論が展開された後、台湾の建築家がどのようにすれば世界に打って出られるかといったことが議題となった。

台湾では若手建築家が地域と密着し実感のもてる手の届く範囲でソーシャルな活動を展開している一方で、伊東豊雄による台中メトロポリタン・オペラハウスやOMAによる台北パフォーミング・アーツ・センター、メカノーによる高雄パフォーミング・アーツ・センターのように既存の局所的なコンテクストに依存し過ぎない、むしろ都市を再編し新たなコンテクストを生み出そうとするほどの挑戦的でダイナミックなプロジェクトがいくつも進行している。

日本が、2011年以降特に関係性やコミュニティといった社会性が重んじられるようになり、新国立競技場の建築案を巡って一度は選定されたザハ・ハディド案がそのコンテクストを超越し作家性を前面に出した挑戦的で強いフォルマリズム的スタンスから否決され(もちろんそれだけが要因というわけではないのだが)、低層で木材を多用するという日本のコンテクストと社会に寄り添った優しい姿勢を前面に出した隈研吾案が採用されたのとは対照的である。

このことは、台湾という島国が辿ってきた複雑な歴史的経緯もあってか、無用に他者を批判することなく、異なる価値観も尊重し共存しうる国民性によるところが大きいのだろうということが、その後の懇親会も含めた会話などを通して見えてくる。

コラボレーションの可能性

台湾の建築家が国外へと活動を広げるにあたり、まずは日本を舞台としてみてはどうだろうかと提案してみる。
彼らの建築活動は、現在の日本社会ととても親和性がある。
例えば、僕が企画監修を行っている「みなとまち空き家プロジェクト」のような活動とコラボレーションしてみるのも面白い。
次は、ぜひ日本にいらっしゃってくださいという次なる展開を見据えた言葉でフォーラムを終える。

台湾と日本の若手建築家の間に、社会と対峙し、地域に飛び込み、リアルな実感からこれまで見えていなかったポテンシャルを拾い集め創作へと繋げるといった共通する姿勢が見いだされつつも、ベタなのかメタなのか具体と抽象の関係における差異が浮き彫りになり、その背景には歴史、国民性、社会を取り巻く国際的な情勢の違いがあることが推察され、互いの共通点と差異を生かした交流の継続が示唆されたとても刺激的で充実したフォーラムであった。

東京から台北まで飛行機で片道約3時間、費用も往復で2万円強、時差は1時間、異国でありながらも国内移動と大差ないほど気軽に行き来ができてしまう。今後、益々台湾と日本の交流は増すだろう。

繋がりが生み出す等身大の幸せ 

翌日、フォーラムで共に登壇した賴人碩氏のもとを台中に訪れる。
前日のレクチャーでもプレゼンされていた自身のオフィスも入り自ら運営する繼光工務所を見学させていただく。

下階は、訪問時にまさにトークイベントが開催されているさなかで、その傍らで、キッチンカウンターに向かい食事をしている人、ソファーに座り談笑している人、犬と遊ぶ子供たちなど同じ場でありながら多様なふるまいがゆるやかに共存するおおらかでアットホームな空気に包まれ文字通り町に開かれたオープンな空間になっていた。

上階は、9つの建築設計事務所が入るシェアオフィス。
建築書籍、サンプル、模型材料などが共有されたり、事務所ごとにゾーニングされることなく、フリーアドレスになっていてそれぞれの所員が入り混じり、人間関係の実情が席配置に反映される。
流動性のある風通しのよいオフィス空間を目の当たりにし、働き方改革の求められる日本の職場環境の一つの方向性を示しているように感じた。
また各所員のデスクを見渡してみるといたる所に日本の建築書籍を発見することができる。
フォーラムで浮き彫りになった日本の建築界とシンクロする状況は、同じ島国であることや共通する社会状況のみならず、書籍やインターネットを通した情報の共有も大きな役割を果たしているのだろう。

建築と人と町、歴史と現在の幸福な関係を身をもって体感し、前夜の議論が思い起こされる。言語化や批評性の不在が問われたが、なにかそういった構図を超越した等身大の強さというものを感じた。

ナイーブアーキテクチャーのジレンマ

日本でもそうであるが、このような地域に密着した等身大の活動は、解像度が高く実態にあった豊かな場を創出できる反面、活動のレンジが限られ、また社会や生活と連続的であるため着実なアップデートはできるものの、そもそもの構図自体をドラスティックに書き換えるほどのインパクトをもちづらい。このことは、大きな社会や歴史と対峙しカウンター的に実験的でダイナミックなプロジェクトに挑戦してきた先行世代からすると、正しいがちまちました活動で小さな範囲に収まっているのではないかという批判がおこったりもするわけであるが。

フィールドオフィス・アーキテクツが切り開くリアリズムの先の地平

台湾滞在3日目、宜蘭(イーラン)を訪れフィールドオフィス・アーキテクツによる一連の建築を見学させていただき、事務所で所員さんからお話をお伺いする中で、上記の批判に対するアンサーとともにリアリズムの先の可能性を見出すことができたように思う。

地域や暮らしと一体となり成長し続ける建築が都市を再編させる

フィールドオフィス・アーキテクツは、その中心人物である黃聲遠(ホァン・シェン・ユェン)が、台湾の東海大学を卒業後、米国にわたりイェール大学大学院修士課程を修了し、エリック・オーウェン・モスの事務所を経て帰国し、台湾の地方都市である宜蘭を拠点に設計集団フィールドオフィス・アーキテクツ(田中央工作群)として設立された設計事務所である。
環境、身体、コミュニティ、時間、成長といった考えをテーマとし、地域に根差し、リアルな生活に寄り添い、その中から建築は、その土地の文脈や暮らしとシームレスでありながらもそのポテンシャルを拡張するように設計される。しかも建築は地域や暮らしと共に成長し続ける。

例えば、「宜蘭社会福祉センター」は、周辺の家々にも見られるような路地や軒下空間が積層され多様な表情をもつ複合建築として構成されているとともに、

その路地は一方で歩道橋でもある「西堤屋根付橋」となり道路を超え、

「津梅橋遊歩道」により川を越え対岸へと拡張していき、

一方で隣接する住宅街の路地である「鄂王光小道」へと接続しその先に「楊士芳紀念林園」へと繋がる。

それは環境や生活といった等身大のスケールから出発したけっして大きくない建築プロジェクトのひとつひとつが成長を重ね、境界を越え有機的に連なり、ネットワークを結び、都市と一体となりそれを再編させるほどのダイナミックなうねりをつくりだす。
リアリズムがもつその性格を利用し、都市の発展や生活の混沌をエネルギー源として飲み込み、建築、環境、生活が三位一体となり驚異的なバイタリティをもって成長し続ける。

吉阪隆正、象設計集団からの文脈

このようなフィールドオフィス・アーキテクツの活動には、もう一つ興味深い文脈を見出すことができる。
同行した稲垣氏は、吉阪隆正、象設計集団との共通点を指摘し、早稲田大学の系譜に沿った視点での解釈を試みる。
なるほど、象設計集団は宜蘭縣庁舎を手掛けているし、フィールドオフィス・アーキテクツは吉阪隆正賞を受賞してもいる。それにフィールドオフィス・アーキテクツには唯一国外からの所員が1人いるが、その人は日本人で早稲田大学出身だという。
吉阪が提唱した、表層の混沌と深層の秩序による不連続統一体という考えや、象設計集団の地域固有の表情や人々の暮らしに寄り添い建築と自然環境の調和を図るという考えは、フィールドオフィス・アーキテクツの建築にも見出すことができる。

HUMAN NATURE/人間自然

台湾での3日間にわたる滞在を終え、総括と共に台湾への訪問のきっかけともなった平田晃久氏の個展「HUMAN NATURE/人間自然」について考えてみる。

平田晃久氏は、「からまりしろ」という概念を一貫して提唱し続け、異なる部分、多様な事象を内包しつつ、固有の秩序を発見し、新しいかたちの創発を試みる。
建築や人の営みを生態系として捉え、人工と自然の対立、人間と動物の差異を乗り越えようとする、あるいはその過程で生じる矛盾すらも創作の源泉としている。
俯瞰することで普遍的な秩序を見出しつつも、人間という帰着点に向かう。
現在、平田晃久氏は、台湾で大変人気があるという。平田晃久氏は普遍的で原理的な理念をもちつつ、建築としての現れは実に人間的であることに由来するのではないかと思う。というよりもメタな思考の中にベタが包摂されているといった感じだろうか。

部分の連結による再編、部分を内包する全体性
両極が人間を介して交錯するその結節点に浮かび上がる建築の未来

「建築的未來式─ 台日新銳建築師交流論壇」を通して浮き彫りになった、台湾の若手建築家による具体性と日本の若手建築家による抽象性という構図は、
台湾という土地をめぐり現れた、
実感のともなう具体から小さな部分を紡ぎだしそれらを連結させ、既存の都市にパラサイトするように再編させていくフィールドオフィス・アーキテクツ、
普遍的秩序をともなう抽象概念から全体性を提示し、いくつもの部分を内包するようにその場にチューニングさせていく平田晃久氏、
という構図にスライドすることでその先の可能性が顕在化する。
一方は小さな視点から大きな世界へ、もう一方は大きな視点から小さな地域へ、両極のスタンスから向かうベクトルが「人間」という概念を結節点として交錯する。
ここに、これからの建築の可能性を見た。

(写真提供: 忠泰美術館、Pingyi Liu、米澤隆)

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