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晦日の労働(けっこん)←すべて訓読みをけっこんにするのおすすめです が終わり、クランクアップ時の女優さながらの雰囲気で社員さんたちに見送られ、たったいま退勤しました。良いお年をー!ならぬ、良いミンギュをー❗️と言われて爆笑でした。
今年の"あのときのわたし"たちへお手紙を書く気分で、1年を振り返ろうと思うます🪄(アーニャ仕草)


2023年になったとき、何をしていたかどこにいたかさっぱり覚えていないのですが、2023って初めて見たとき、なんてハンパでかっこ悪い数字なんだろうと思いました。私がこの世でいちばん好きな数字:24になり切らないもどかしさと、見慣れない数字の羅列が歯がゆく感じました。年が明けるといつもそうですが、2023は段違いに違和感がありました。2023?変なの。全然好きになれなさそうでした。
色で言うと、紫な年でした。理由は特にありません。なんとなく、すごく紫。ザ紫な紫。←感覚至高主義オンニ 後付けの理由を加えるなら、いろんな色が混ざった色だから。黒になり切るには色が足りなくて、白というにはあまりにも汚れた色でした。
よくある【今年を漢字1文字で表すなら】というお題に対しては『大』と答えることにしました。ここからは、その内訳について、少し書いてみようと思います。

大暴れ

2023年…
マ〜〜〜大暴れしましたね
❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️
反省しろ
❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️

ええ。今年は22年間の人生で、1番大暴れしていました。悔いはないです。←悔やめ
喜怒哀楽ならぬ、喜怒哀楽惚涙悔快鬱明飛寂吐蜜貧陽満華くらいまでありました。常にアクセル全開爆走人生だったと思います。生きがいと疲労感という、有り得ない食べ合わせで日々を生きていました。
アクセルと言えば、今年の夏、自動車免許を取得しましたね。(๑˃̵ᴗ˂̵)و オンシャ!野郎のせいでMTを強制教習、ホンマに情緒も運転も大暴れオンニで大変愉快でした。当たって砕けろ精神オンニなので、仮免◼️回落ち、効果測定◼️回落ち←本当に、なんで❓ にも関わらず、1ヶ月半で卒業するという、四捨五入したらギネス記録を成し遂げました。終わり良ければすべて(๑˃̵ᴗ˂̵)و ヨシ!というにはあまりにもドタバタ経歴。毎日ブチ切れながら塀の外を夢見ていました… まさに教習所は卒業ではなく、脱獄と呼ぶべきだと思います。教習初日に、韓国で買ったお気に入りのにんじんヘアクリップをして行ったら、教官に<にんじんちゃん>というあだ名をつけられ、大事に育てられました。←生産者のみなさん、ありがとうございます❗️出荷されたにんじんちゃんは、ドライブスルーでアクセルを誤爆、右折に失敗し衝突事故未遂を起こすなど、行く先々でハプニングの連続ですが、かわいい子には旅をさせよと言いますし、これも生産者のみなさんの愛だと思っています。そんなわけないだろ。
そんなこんなで物理的にも精神的にも、大変大暴れをした自負があります。下記の章でも、大暴れはまだまだ続きます。

大きなetc.

①大きな決断
春に、"しゅーしょくさき"を決めました。久しぶりの大きな決断でした。まだ正解だったのかはわかりません。未だにふと、あの決断に黒い影が降ってくることがよくあります。でも、わたしは見えざる神さまとか、運命とか、巡り合わせとか、そういうものを信じています。ピーターパンさながらに、その黒い影と喧嘩になったときは、"そういうこと"だったの!と、きっぱりと宣言するようにしています。

元々海にいた生き物が環境に応じて変化して両生類、哺乳類になったように、私も違う生き物になるのかなあ、などと考えたりします。それがとっても楽しみだし、とっても不安です。来年度から、私はどこからどうやって酸素を得るようになるんだろう。二酸化炭素はどうやって排出するんだろう。なにを食べて生きていくんだろう。陸にはどんな天敵がいるんだろう。私の足は、ちゃんとかわいく生えてくれるのかしら。やっぱり最初の一歩はうまくバランスが取れなくて、最初の一呼吸は苦しいのでしょうか。
先日太陽の塔の内部で「生命の樹」を見上げながら、ぼんやりとそんなことを考えました。私はまたイチからのスタートで、遥か遠くにちょこんと立っている、"ヒト"を目指して三千里です。でも、"ヒト"がそんなにえらいのでしょうか。階段を登った先に、えらそうに頂点に君臨していた"ヒト"は、毛むくじゃらでみすぼらしい服を着て、背中の曲がったちいさな生き物でした。これは本当に進化なのでしょうか。海中から始まった生き物の壮大な物語の、ほんの一部でしかありませんでした。それなのに、すべてを支配しているような顔をして、なんか滑稽でした。私は、海を自由に漂う海月にも、かっこいい恐竜にも、翼の生えた鳥にもなりたいです。私はいますべての可能性を秘めているのです。ふふ。なんて贅沢なんだろう。
かんじんなものを見失わずに、自分の足でしっかりと踏ん張りたいと思います。

いまのわたしからのけしき

②大きな出来事
3月の末、星の王子さまミュージアムに行きました。しゅーしょくかつどうの合間を縫っての、弾丸一人旅でした。西の魔女:わたしのばーば に、閉館前最後に行ってみてはどうかと言われ、導かれるように高速バスに飛び乗りました。
その時期は、すでに卒論の構成をあらかた決めて、文献も出揃い、章立ても提出し終わっていた頃でした。ですが、サン=モーリス・ド・レマンス城によく似たあの建物を前にした瞬間、"卒論"と"星の王子さま"が頭の中に並立しました。趣味:計画破壊 な無鉄砲頑固娘こと私は、「絶対にこれな気がする」と確信し、帰りのバスで教授に卒論テーマ変更の旨をメールしました。ゼミ生の中で唯一ドイツ語専攻だったわたしが、フランス語専攻の教授のゼミ所属だったのは、"そういうこと"だったのだと思います。ほらね、神さまはいるでしょ。
心のコンパスに従えとはよく言ったもので、わたしはこの物語の中に、いままでずっと探し求めていた"なにか"があると直感しました。そして、1年かけて、それが何なのか、突き止めたいと思いました。あの衝動は、今でも忘れられません。理屈では説明できない"なにか"はこの世に必ず存在しているのだと、強く実感した体験でした。でも私が1年かけて見つけたその"なにか"は、私が定義付けるものではなくて、あくまでも箱の中のヒツジのように、各々が見いだすものなのだと思います💌

③大きな変化
いままでずっと足し算一本で勝負してきた私は、今年初めて引き算を習いました。断捨離です。以前は引き算なんて価値がないと決めつけていましたが、やってみるととても楽しくて、引き算は魅力的だと思えるようになりました。どんだけ数が大きくなろうとも意地を張って頑なに引かず、ゴリ押しの筆算で苦しんでいました。いつも眉間にシワを寄せて難しい顔をして、ノートを凝視していました。

進めていくとどんどん大変になっていく足し算。
進めていくとどんどん楽になっていく引き算。

満たされることのない永遠の足し算。
残ったものを大事にする引き算。

だけどまだまだ茨の道です。いつものくせで、間違えて足し算をしてしまうことがありますし、暗算はまだできません。その戒めとして、このハンドクリームを持ち歩いています。


唐突ですね。
以前の私だったら、真っ白で余白の多いこのパッケージを見た瞬間に、無邪気にシールをぺたぺた貼っていたと思います。いまでも、サンリオのかわいいキラキラシールを貼りたいと、見る度に思います。でも、それでは引き算ができるようになりません。引き算の象徴として、このアイテムをお守りにしています。
…というのは後付けで、単純にすごくいい香りだからかも。余白を愛せる人間になりたいです。

④大きな推し
11月、富士山を見に行きました。家の近くの川沿いからでも少し山頂が見えますが、近くで見るとわけが違いました。山と山の間からバーン!と現れたとき、ブワッと風が吹き抜けて、爽快な気持ちになりました。どこまでも広がる裾野まで見えると、圧巻でした。大きい。とにかく富士山しか見えなくなりました。視界がすごく開けました。


でもこの感覚、わたしどこかで味わったな。
富士山をちゃんと眺めるのはほとんど初めてなはずなのに、どうしてデジャヴだと思うんだろう。

ああ、ミンギュに会ったときだね。
と、合点が行きました。

私の推しは超大きいです。物理的にも、概念的にも。2023年は、初めて実物大の推しに会いにいってみたりしました。富士山を見上げたとき、彼を見上げたときのことを無意識に思い出しました。そうそう、こんな気持ちだった。
2度目は少し天候が悪く、体当たりさながら、膝を擦りむいたり、打撲したりもしました。すごく痛くて沢山泣きましたが、すごくワクワクしました。生きてるって、実感する感じ。勲章なんてカッコイイものではないけれど、わたしの大事な宝物です。思い出すと、まだ涙が出ます。しあわせだー!

大事

にすること。これは、2023年下半期を貫くテーマだったと思います。大事にしたいと思えば思うほど、苦しくて悲しくて悔しくて、どうしようもなく涙が出ることを知りました。大事なものを大事にしたくて、大事にできなくて、その度に私はたくさん泣きました。大事にするとは、とんでもなく大事(おおごと)でした。大事にするということは、見えないものを信じるということ。人生男の晴れ舞台・バラちゃんの死 を通して私は学びました。それでも、大事にしたいと思うものがあること自体が、とても幸せなことだと思いました。大事にしたいと思う気持ちを、大事にしたいです。これは、私のこれからの人生で大きな指標になるのだと思います。

大丈夫

って、すごい言葉だと思います。すごい、というのはちょっと引いてるニュアンス。"超"丈夫ってことでしょ?!スーパー丈夫ってことでしょ?!丈夫って、そんなに容易くないと思います。日本人は大丈夫を乱用しすぎです。この言葉は呪文だと思います。そんなに丈夫なことがありますかね。大丈夫な人間なんて、いるのでしょうか。大丈夫ではなかった時期には、そんなことを考えていました。はやく、本当の意味で大丈夫になりたかったのだと思います。
でも、よくよく考えてみました。いまの私は、結局就活も卒論も金欠もバカスケジュールもすべて乗り越えて、なんだかんだ2023年のゴールテープを切ろうとしています。もしかして、私は大丈夫なのではないでしょうか。その証拠に、以前までぼんやりと抱いていた自己否定や劣等感や後ろ向きな気持ちが、薄まっていることに気づきました。

人生男の効果は絶大です。
ポジティブオールラウンダーさんことミンギュを好きでいると、人はポジティブになれるのです。知らず知らずのうちに、私は明るい人間になり始めているのかもしれません。以前、ライブで隣の席になったオンニに、「周りを元気にさせてくれたり楽しませてくれるミンギュと同じ太陽みたいな子」と形容していただいたことがあります。そのときすごく、感動しました。そういう私もいることは、きっと本当なのだと思います。変な謙遜と卑下は、やめようと思いました。私とミンギュが似ているとは思いません。でも、私が寄せていくことはできますね。憧れと尊敬の先にいる彼の背中を懸命に追いかけたこの1年間は、無駄じゃなかったんだなあと、報われた気がしました。私はちゃんと、彼のことを追いかけられていたんだと嬉しくなりました。珍しく自分をちょっぴり褒めてあげたくなったりもしました。
自分を許さないことでこの世にいることを許されようとすることを、いつかやめられればいいなと思います。

大変

なときがそれなりにありました。でも、大変ってなんでしょうか。来年からの私はもっと大変になるのでしょうか。私が(大変だ、しんどい)と思ったときは、【考えたいことを考える時間がないとき】でした。ご飯を食べてよく寝ても、取れない疲れがありました。考えたいことを考えることは、私の最優先欲求であることがわかりました。考えたいことを考えているときは、ご飯も睡眠も忘れます。それが私にとっての幸せなのだと学びました。(ご飯をたくさん食べ、よく寝れば大抵のことは乗り越えられる)という定説もありますが、私には食欲と睡眠欲よりも、思考欲が強いのだと知りました。
そして、考えたことを文字にすること。どうやら、これは私にとって最大のストレス発散であるようです。どんなに地獄を見ても、すべてを文字に昇華すれば、その次の瞬間にはケロッとしてしまいます。理屈はわかりませんが、そういうところがあります。言語化が、私にとっては大きな要因なのだと知りました。
思考欲が強く、言語化することでストレスを発散をする。自己分析の結果、このような診断に至ったので、これを鑑みながら"大変"に立ち向かって行きたいと思いました。

大好き

好きじゃ足りないと思うことが、今年は頻繁にありました。もっと伝えたい。そういう時に人は、好きの前に『大』を置きます。そうすると、好きが加速して、より遠く、より速く、より強く届くような気がします。『大』はアクセルのような感じです。大の字って、とっても素敵。無防備でかわいい。疑うことなく、自らを開示してくれていて、無邪気に両手を広げて、足はルンルンしている。両手を広げて、わたしを受け止めようとしてくれているようです。ならばわたしもこんな風に、わたしが過ごしたかけがえのない2023:大 を思いっきり抱きしめたいです。

ぎゅーーーー🖤


大好きだったよ。2023。


あなたへ、わたしへ、あの人へ、きみへ。
良いお年を。


やだなー、水くさい。良いお年を"お迎えください"なんて、言ってやんないよ。一緒におそばを食べて、一緒に良いお年を"迎えに行こうね"


カボジャヌンゴヤ🖤

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