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未来の私、笑い飛ばしてね

結論から言うと、自分語りLv5億みたいな文章になった。フォントが指定されてるおかげでなんとかそれっぽくはなるものの、本当に殴り書き。子どのくせに、知らないことばっかりなくせに、こんなに考え込んで文字にまでおこして、めちゃくちゃ恥ずかしい。気持ちを言葉にするのに1年半もかかった。だけどそれ以上に私は、未来の私に今の私のことを忘れられたら、悲しい。この時代をどういう風に思って過ごしたのか忘れてほしくないから、くだらないけど、未来の私に向けて中間報告をしようと思います。

幸せな私


いまの私は、体力的に辛いことがあるわけでもなく、バイトをクビになる訳でもなく、学費を自分で払っているわけでもなく、睡眠時間を削られることがあるわけでもなく、こんな状況じゃなければ留学にいけたのに!と思うほどの勇気と熱意を持っているわけでもなく、会いたい友達が大勢いるわけでもなく、コロナ前の人生が特別充実してたわけでもなく、

毎日お腹いっぱい食べて、丈夫なからだを持っていて、テキトーなことを言い合える友達がいて、寝ても醒めても心を潤してくれる推しがいて、私のしょうもないぼやきにハートを送ってくれる人たちがいて、朝はお気に入りの音楽を聴きながら川沿いを散歩して、授業が終われば気ままにお昼寝したり、ギターを弾いたり、お姉ちゃんと電話したりして、1日の最後はパパとママにおやすみを言ったあと、暖かい布団で眠る。幸せは探すものじゃなくて気づくものだって、誰かが言うけれど、本当にそうだと思う。私はいま幸せ。足りないものなんて何ひとつない。だから涙は出る。

こんなに恵まれているのに、こんなに周りから愛を貰っているはずなのに、いつも心は空虚で、必死に何かで埋めようとしている。でもなんで心に穴が空いているのか、何で埋まるのか、どうやったら埋まるのかがわからなくて、いつもフラフラしている。楽しいと感じること、好きなアイドルを夢中で応援してドラマを見て一喜一憂することは、逃げなのではないかとたまに思う。私の人生なのに、自分の将来のことはなにも考えずに、毎日供給されるコンテンツに縋り付く。毎日夢中で好きなものを追いかけてる中でふと我に返ると、私には何も無い。日中に見ないふりをした憂鬱が夜になるとまたやって来て、明日になれば、明日になればなにか変わると期待して寝るのに、目が覚めると世界は今日も何ひとつ変わらない。

狂ったままの曜日感覚、カメラ屋の割引でしか出番がない学生証、一向に覚えられない通学ルート、パソコンの中からしか得られない新しい知識、変わらない学費、制約だらけの生活、何も見えない自分の将来、状況悪化を若者のせいかのように語るワイドショー。えらい人たちが言う「みなさんのよりよい暮らしのために」の中に私は入っていない。朝起きる意味も夜寝る意味もご飯を食べる意味も特にない。時間は私を置いて、どんどん進んでいく。


悲しい

どこに行ってもみんなマスクをして、人との距離を取る。当たり前。そうやってみんなも私も、自分と周りの人の命を守る。時々ふと、SF映画の中だったらいいなと思う。映画の中の、無理やりな設定。観客はみんな呆れてると思う。全然面白くなさそうな映画。そんなことを考えてる私とすれ違う人たちは、みんな平然としている。どこに行ってもみんな顔の半分を隠さなくちゃいけないなんて、異常なのに。建物の入口には人間の温度を計る機械が必ずあって、温度のない声で「平常です」と偉そうに言ってくる。

いま大人数を見ると、目に見える楽しい光景より、目に見えない恐怖に意識が行くようになってしまった。そんな自分に気づく度に、がっかりする。上手く言えないけど、心底がっかりする。私は私でいたかったのに。本当は、色んな人が入り交じる場所が大好きだ。ライブでは大歓声の一部になりたいし、ディズニーではギュウギュウになりながらパレードを見たいし、観光地では知らない人たちが沢山映りこんだ写真を撮りたいし、新幹線ではボックス席にしておしゃべりしたいし、夏祭りでは人混みに紛れて気になる人と手を繋ぎたい。人が大勢いると暑苦しいし、景色はよく見えないし、自分のペースで歩けないし、美味しいスイーツには何時間も並ばないとありつけない。だけど当たり前にそれぞれがそれぞれの時間を自由に過ごしてる光景が、いまはこんなに恋しく思う。わちゃわちゃ大騒ぎの家族連れ、幸せそうなカップル、ニコニコな老夫婦、元気にはしゃぐ女子高生、優雅に一人の時間を楽しむ人。こういう光景からしか得られないエネルギーがあると思う。

用がなくても会いたい人に会っていいし、喋りたい声量で喋っていいし、行きたいところに行っていいし、大きな口を開けて笑っていいし、話が尽きないなら帰らなくていいし、意味の無いことで楽しんだりしていいって、このままだと忘れそうで怖い。状況を受け入れて期待なんかしないで淡々と過ごすのは楽だし賢い選択だとは思うけど、私の大事な青春がもったいない。もっと泣いて笑って叫んで、強欲な人間でいたい。たらればを考えるのは無駄で、いまの状況を受け入れるのが得策だと私も思ってたし、それがさも常識みたいな風潮があるけど、これを受け入れてるの、普通に狂ってる。まず無駄って何? 人間のかわいいところはその無駄なところに詰まってるはずなのに。

神さまは私たちになんでこんな試練を与えたのか、なんで今なのか、私がなんでこの時代に生まれたのか、全てに意味があるはずなのに、私はずっと見つけられない。掴めないなにかを必死で掴もうとしている。ゴールがない。だから苦しい。こんなに恵まれてるんだから、いつまでも嘆いてないで、何も考え込まずに楽しんで、さっさと自分からいろんなことに挑戦すればいいのに。環境は自分で変えないと変わらないのに。なにを待ってるの。なんでできないの。なんでずっとウジウジしてるの。私はそんな自分がずっと許せない。お前のせいで苦しいんだ。全部全部お前のせいだ。

これが「Lovemyself」を掲げて活動している防弾少年団の、1ファンの本心です、なんて、有り得なくて笑ってしまう。こうやって自分を責める度私は傷ついて、7人が世界に向けて懸命に発信してくれている素敵な希望を、踏みにじってしまう。そんな私は7人が言う「armyのみなさん」の中に含まれてはいけないのかもしれない。申し訳なくておこがましい。だけど何より1番悲しいのは、こんな風に思うこと。


welcome!

国連のスピーチ・ステージは、なんの涙かも分からずにただ泣いた。今思うと、誇れるような2年間ではなかったこと、全然前を向けていないことに、申し訳なくなったんだと思う。私の心も本当は、太陽の光を遮る屋根を全部とっぱらって、青空の下で踊りたいのに。

いつまで経っても変化に怯えているのに、 前進なんて1ミリも出来ていないのに、私の前にあるはずの新しい道を一向に見つけられないのに、少年団のみなさんが世界に発信しているメッセージ通りに生きられてないのに、ファンで居ていいのかな。あんなに前向きなメッセージをくれたのに、数日後にはまたこうしてメソメソしている。“BTSを利用してください” ナムさんの覚悟と愛が詰まったあの言葉を、私は全然受け取れていないのかもしれない。世界のすみっこのしがないオタクには、メッセージをしっかり前向きに受け取って、日々の幸せに生かすことくらいでしか、恩返しができないのに。本当は、この2年間を前向きに生きて、その2年間をyourstoriesキャンペーンに綺麗な写真と一緒に送りたかった。いつまでも与えられる側にいるんじゃなくて、armyも元気に前を向いているよと伝えられる強い人間になりたかった。私のあのページは、真っ白のままだった。

だけど国連でソクジンさんは言った。私たちはwelcome generationだと。「welcome generation」。びっくりした。welcome?歓迎するの?未来は怖くてたまらないものなのに?それを両手を広げて迎えに行くなんて考えもしなかった。また泣いた。表舞台の闇もこの世がクソなこともすべて知っている上で、こんな言葉を選ぶのか。この言葉がソクジンさんの言葉なのかどうか私にはわからないけど、とってもソクジンさんらしいとわたしは感じて、ソクジンさんの口から聞けて良かった。わたしにはwelcome!と言って前に進んでいく勇気はまだないけど、ソクジンさんの、7人の後ろに頑張ってついて行きたい。うまく出来なくて、これからもその度に自分が嫌になるだろうけど、この言葉がなければ私はいま頃どこに居たんだろうとゾッとする。

「私はarmyです!」と名乗る資格が私にあるのかどうか、グルグル考えていたけど、私はやっぱり、どうしてもarmyでいたいわがままな人間だった。同じ後ろにいるでも、背後を守れるような頼もしい人間ではなくて、後ろからただただ背中を追っかけてるだけの、こんな私だけど、好きでいたいと思ってしまう。人生で誇れることなんて、これ以外にないから。私はarmyでいてもいいですか、なんてこんな風に許可をとらなくてもいいような、胸を張って「armyです!」って言えるような私になりたい。だってWe don't need permission でしょ。ほんとは許可なんていらない。そう思わせてくれて、ありがとう。









状況が良くなった未来を過ごしている私が
このnoteをみてバカみたいに笑ってるといいな。
幸せじゃなくていいから、生きていてね。
それがいまの私の夢。

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