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拝啓、右脳さま。

時々どうしようもないぐらい感情的になってしまう。

自分の感情的な部分が、急にぐずりだすような、そんな感じで。

体調のせいかもしれない。強力に発達した低気圧のせいかもしれない。夕食にイカが出てきたからかもしれない。誰かと別れてしまったからかもしれない。誰かのことを好きになったからかもしれない。タコとイカなんて同じでしょとか言われたからかもしれない。

わたしは元々感情的で、わたしにとって論理や理屈とは自分の中にある大きな感情を御すために発達してきたものです。でも、そんな自分だったからこそ論理で割り切れることと割り切れないこと、それぞれの価値を実感することができているのかな、とも思っています。理屈と感情はマリオとルイージみたいなもので、ネームバリュー的に何となくマリオのほうが凄そうな気がするけれど、ゲームの中ではそれぞれに性能差があって、どっちが凄いというようなものじゃない。別にマリオだけでも全クリできるけど、ルイージがいると友達と遊べたり、一人で2つのコントローラーを操作して、少しジャンプ力の高いルイージでのゲームを楽しんだり、と遊びの幅が広がる。なんか、そういう関係。

言葉では表しきれないものを絵画が描く時もあれば、絵画で塗りつぶせない余白を音楽が埋めることもある。言葉が論理の世界の道具であるならば、論理の外に溢れてしまうものがあるからこそ、今もなお音楽や絵や、踊りといった表現が発達し続けているのだと思います。そう思うと、わたしは理屈の外にあるものが、内にあるものと同じぐらい愛おしい。

わたしは今、データアナリストの仕事をしています。この職業は理屈の代表選手のような職業で、数字を使って過去や現状を把握したり、やったことを評価したり、その結果からシミュレーションをしたり予測をしたりする仕事です。機械学習とかディープラーニングとか、今をときめく用語にあふれているこの職業ですが、分析周辺の技術には弱点があります。それは、過去や現在の直線状にない提案を行うことが難しいということです。人間の目では見えないネタを見つけることが価値のあることとされますが、それは見えてるか見えてないかの違いで、「今の状況が変わらなかったら」という域を出ません。全く新しい、イノベーティブなものを作りたいのならば、そこは理屈の外の世界なのです(だからこそ、この理屈の世界で理屈の外のことをしようというのは大変に浪漫のあることで、人工知能なんかが熱く注目されてるのは数字の世界が全く新しい何かを生み出すことができるのではないかと思われるからです)。今までの傾向を覆すような全く新しい何かを作る場合には、数字は盾であり、剣ではないのです。これまでタコを使った料理が流行ってるようだけど、そこでもっとタコ料理を追加するか、それともあえてラム料理を投入するか、もしくはいっそのこと雑貨コーナーを追加するか、なんていうのは、ギリギリまで理屈付けはできたとしても、最後の最後はこれからどういうお店にしたいかというオーナーの気持ちもあるんです。なのでお願いだからそこでイカ料理は追加しないでください。

わたしはこんな、自分の感情的な部分を便宜的に「右脳」と呼んでいます。どうしようもなく感情が揺れる日は、こうやって思うままに文字を書きつくしたり、ヘッドフォンからEnglishman in NYとか、大好きな曲を流して、体を音楽で満たしたりしながら。時々、ぐずる子どもをあやすように、理不尽に拗ねる誰かの彼女をなだめるように。

お前さん、正直厄介だなって思うこともあるけど、何だかんだで一緒に連れ添ってくれてよかったなって思ってるんだよ。ありがとね。

って、伝えるような。そんな気持ちで、今夜も右脳と付き合うのです。

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