麻薬を求めた途端、私はスランプになった
ここ数週間、私は文がスラスラ書けなかった。書きたいことが胸の中にあることは確かなのに、それをうまく吐き出せなくて苦しかった。
いつしかパソコンを目の前にすると
「書きたい」よりも
「書かなきゃ」という気持ちが大きくなっていた。
キーボードを叩く手が止まるたびに自分の無能さを呪った。
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以前はリズム良くキーボードを叩いていたのに、文を紡ぎ出していたのに、どうしてこうなってしまったのか。
理由は分かっている。ここ最近、文が褒められすぎたからだ。
身近な友人、編集部、某事務局長、某社長・・・皆はもったいないくらい私の文を評価してくれた。
「それ、私のことですか...?」何度も言いかけそうになった。
私にとって、その評価は麻薬だった。
快感すぎる。文をを立て続けに褒められると、それがもっと欲しくなってしまう。
好きで書く文が、認められたくて書く文に変わった瞬間、私はスランプに陥った。
滑稽だ。麻薬欲しさに醜い姿になった気分だった。
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良くも悪くも、どんなにスランプでも原稿の〆切はやってくる。命を削って書いた文は、私が納得する文ではなかった。切なかった。
パソコンの前に何時間もいるはずなのに、進まない文。毎日が夏休みの宿題の提出日前日のような気分だった。
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こんな日々が続くと、おかしなことにスランプでいる自分に飽きてきた。
いや、別にスランプに新鮮味を感じて満喫していたわけではなく(むしろその逆だが)、
「もう十分スランプに苦しんだから、そろそろ自分を解放してあげてもいいんじゃない?」
と思い始めたのだ。
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“※こちらの記事は今までの記事とは違い、少しゆる〜く執筆してお届けします。”
ある日、某メディアの原稿にそう注意書きを入れてみた。
すると、今までのスランプが嘘だったかのように、呼吸するように文を書いていた。「認められる文を書かなきゃ」という呪縛から解き放たれたひとときだった。
書いていることは大したことでもない。いかにメロンパンが美味しいかをひたすら書いただけだ。
なのになんだろう、この駆け抜けるような爽快感は。
周りや評価を気にせずに無我夢中で文を書くことは、こんなにも楽しかった。
それは麻薬よりも幸せな快感だった。
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私は今でも麻薬が欲しい。これが私の醜い現実。
でも、忘れないようにしたい。
私が心から欲しているのは麻薬ではなく、文を書く幸せなのだと。
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