社長!!どうです、御社にも一人半グレを入れては?②

前回からの続きである。

本当はnoteを書き始めた段階では、まさに今からの部分が本題で、その前までの部分は前座くらいの扱いだったのだが、つい感情が昂ぶってしまって
前座だけで2000字使ってしまう、という愚挙を犯してしまった。
こっからはなるべくコンパクトにまとめていくこととする。

企業は何故半グレを望むか?

いまや日本社会・日本経済は「1億総半グレ化」を辿っており、よって当然のように企業や組織は「半グレたる若者」を望んでいる、というのは前回書いた通り。

今回はさらにそこから、具体的に何故半グレが求められるか?という点を明らかにしていく。

企業とは

企業とは、利益を追求するための集団である。
もちろん「いやうちは利益だけを追い求めてるわけじゃない」とか「シャインの幸福を思って」とか「この星で一番のありがとうを集める」とか
各社ともどもにいろんな事を言ってやがるのは承知だが、実際問題として
じゃあ幸せになるために一切社員は働かせずに利益も上げず、給与だけはバカバカ出しますよぅ、という会社はこの地球上のおそらく存在しない。
(もしご存じの方がいらっしゃったらば是非とも教えていただきたい)

企業は利益を出してナンボ。
利益を出した先に、もっと会社を大きくするとか、いや社会貢献すべきだとか地球環境を守ろうとか色々な目的はあるだろうが、まずは利益を出さないことには、存続理由が無くなってしまうのが企業という組織体である。

では、企業の利益とはいかにして生み出されるか。
これも業種業態等によって様々なビジネスモデルがあるだろうが、根本的には以下の3つに収まるのではないだろうか。

①自分が他よりたくさん売る
②他が自分より数を減らす
③自分の仲良しを増やす

自分が他よりたくさん売る、これは単純である。
情報にせよサービスにせよ商品にせよ、何かを生み出して並べ、それに価値を見出す人に売って、お金をもらう。これが商売であり企業の基本であろう。

当然、沢山そのモノを売れば沢山お金が貰える、
企業が利益追求の組織であること考えると、沢山売って沢山お金を手に入れた人が偉い、というロジックになる。

確実に儲かってしまう半グレ企業と半グレ社員

ではどうやってモノをたくさん売るのか。
以下の図に比較してみた。

モノを沢山売るには一般的にいろいろな方法があるが、
ここでは主に3点を上げた。「商品の価格を下げる」「ユーザが欲しくなるものを作る」「宣伝」の3つである。

左の、一般サラリーマンないし一般企業が、調整や交渉など、時間や工数が掛かる上にあまり確実ではない方法を取るのに対して、半グレが取る方法は明快である。何しろ基本方針は「殴る・脅す・言うことを聞かせる」だ。

同じ「何とか今の半分のコストで作ってもらませんか」という要求でも、普通の会社が交渉して、「そこを何とか」と首を縦に振らせるために接待をしたり何度も会議をしたりする一方で、半グレは実に単純明快に「痛い思いしたくなけりゃ言うこと聞けよ」で話が終わる。
確実かつ、手っ取り早く、なおかつ効果が高い。

ココがミソである。
確実で、素早くて、効果が高いのだ。倫理的に問題があることさえ目をつぶってしまえば、夢のような成果である。だからこそ、企業は半グレ化していき、皆でグレれば怖くない、とばかりに雪だるま式にどんどんグレ度が高まっていき、利益も上がっていく。

同様に、②他が自分より数を減らす、③自分の仲良しを増やすについても画像で見ていこう。

ここでも共通なのは、やはり(倫理にさえ目を瞑れば)「確実」「手っ取り早い」「利益が増える」という有り余るメリットがある。

だからこそ半グレ企業は着々と成果を出し、規模を拡大し、人員を増やしているわけだ。他の企業に残された道は、仕事を畳む自らも半グレになるか、の二択しかない。

こうして地には半グレ企業が満ち、半グレ企業は多くの半グレを求め、最終的に就活生たちは口々に「我こそは半グレなり!」とアピールをするという、世はまさに『大・半グレ時代』へとなだれ込んでいくのであった。

文字通り世も末である。

どうすればいいのかしら

正直な所、じゃあどうしたらいいんじゃというところに良いアイデアはないのだが、やはり法整備を含めて
「迷惑な商売をする奴らにはお引取り願う」
というのを進めていくしかないのではなかろうかと思う。ただ残念ながら繰り返し述べているように現状の日本社会は既に、だいぶ半グレ社会になっていて、なおかつ資金も力もコネクションもあるとなると、
なかなかにそういった法整備も難しいのが現状ではないかと思われる。

コレを見ているであろう、おそらく「半グレではない」各位においては、
何とかこの『1億総半グレ社会』の中を
吸い取られる養分にも、吸い取る半グレにもなることなく、いつか来るであろうアポカリプスなり、審判の日なり、あるいは弥勒菩薩の登場の日まで、どうか強く強く生き延びていただくことを望んでやまない。

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