『努力しなくても結果が出る』は不幸なのか?

ツイッターで話したこの話の続き。
https://twitter.com/yontengoP/status/1141241946926530560

学歴コンプおじさん

僕は割と学歴コンプがある人間だ。

具体的に言うと、自分よりいい大学とか出てますと言われただけで
ああじゃあこの人は俺より頭がいいしきっとお金も稼いでるし
しっかりしてる人なんだろうし凄い人だろう、と思うタイプである。

高校の同級生が東大だ慶應だ早稲田だにガンガン受かってるのを見て以来、
僕より良い大学を出てる奴は間違いなく僕より優秀で
僕より数倍お金を稼いで幸せな生活をしてるに違いない!!という
呪縛、とまでは行かないが、無意識にそう思ってしまうきらいがある。

ただ、先日お仕事繋がりで出会った国立大法学部(!!!)の人から
「それは全然違いますよ」
と教えていただいたのだ。

既にココで国立大学法学部卒に「違います」と言われて盲信してる時点でお前やっぱ学歴コンプ奴隷やんけと言われそうだが、まあ聞いてほしい。

良い大学と仕事が出来るかは全く関係がない(説)

その人曰く、
「テスト勉強とか、受験勉強っていうのは
極論すると、
『Aだと習ったことを、覚えて、
テストでAと答える』もの。」らしい。

「勿論応用問題とか自分で考える問題とかはあるけれども、基本的にはINPUTされたものを覚えて、適材適所な場面でOUTPUTするのがその根幹である。」と。

「そして、僕はそういうのは得意だった。」

「だけど仕事に就いたら、
"教えてもらったものを覚えといて後で出す"
という作業はほぼなかった。

『コレを覚えればいいよ』ではなく
『自分で何が大事かを考えて、そのためのマニュアルを自分で作れ』
とか言われた。」

「コレは本当に僕にはできなかった」

「何をINPUTすれば良いのか、から
自分で考え無くてはならない、というのが
途方に暮れた」

これは僕とは全く真逆の価値観であった。

僕は学校で化学式やら公式やらを覚えなさいと言われる度に
「あーーくっそつまんね、何で覚えなきゃならんのだ」と愚痴をこぼすタイプであった。
その一方で、小論文のような「自分の考えを伝える」「自分で考えて何かする」というのは好きであった。

なので、その当時を思い出して、
「何かを単純に覚えろと言われて、
すんなりとそれを覚えられてなおかつ後からそれをすぐに取り出せるなんて
良いじゃないか羨ましいじゃないか」
と思ってしまった。

しかし、当人は首を振って
「もう一つ大事なことがあります。Inputを教えられてそのとおりに動いて、結果として成果を出してきた人間というのは、努力の仕方を知らないんです」と、答えた。

努力せずに結果が出るのは、不幸?

よく成功体験インタビューなどで語られる
「小、中、高校、大学、と大して勉強しなかった、努力もしなかったけどテストとかでは良い成績が出せた」という話は

凡人たる僕としては
「あー、『試験前に全然勉強してないわ俺~』とか謙遜的に『他にもっと努力してる人がいるから自分はまだまだ』とかいうタイプのアレか」と思っていたのだが、

世間には本当に
「やらずとも、できちゃった」
「運良くうまくいっちゃった」という
経験だけを繰り返して育ってきた、いわゆる
"天才"と言われる部類の人がいるらしい。

法学部おじさん曰く
「それでも大体の人間は、
・勉強はできるけど運動は…とか
・勉強も運動もできるけど恋愛で…とか
何かしらの挫折ってのを経て、頑張らないと、練習しないと、努力しないと、みたいなところに行き着くんですけど、
・オールマイティになんでも出来る真実の天才、あるいは
親御さんとかが気を遣って、勝てそうにない舞台に登らせなかった
タイプは、そのまま、やったらできちゃった、って経験だけを積んで大人になります」

法学部おじさんは本人曰く、後者のタイプらしい。
普通に羨ましい。

で、そうなるとどうなるかと言うと

「分からないんですよ。今まで、
とりあえずやってたら、うまくいったことしかなかったんで。

うまくいかない、結果が出ない、失敗した、って場面が目の前に現れても、じゃあどうする?どうしたら成功する?みたいな自分の中にその打開策の案が一つも無いんです。」

えっなにそれは。

え、何それこっわ

この辺りで僕はだいぶ目からウロコ、というか「えっ…めっちゃ怖い何それ…え…?」とコーヒーカップをカタカタさせたりしたのだが、

つまりはワイの自炊と一緒で
「結果を見る限り明らかに失敗してる、その理由は分かる。けどもその結果を受けて、何をどうしたら良いかがわからない。調べる手段も方法も知らない。」みたいな状況になるのだそうだ。

幸いにも僕の自炊は、まぁその…やる気さえあればGoogleなりでレシピを調べるなり、クックパッドを見て言われたとおりにする、という対応策を知ってるので、まぁやる気さえあればリカバリは可能なのだが、前者の「失敗からの方法を知らない」「何となくうまくやってきたマン」にとっては、そんな便利なクックパッドもないわけで、途方にくれるのだ。

結局、法学部おじさんは派遣社員として色んな案件なり職場を転々としてるのだが

・前述の通り、成果が出ない時の対応が分からない
・なので成果が出せない
・成果が出ないので、大きな仕事は任されない
・日々「とりあえず今日はコレやって」みたいな指示しか出ない
・頑張って質問したりしながら働くも、「考えりゃ分かるだろ」みたいな話になってしまう
・なので成果が出ない
・3ヶ月おきに別案件に異動になっちゃう
・スキルも身につかない
・お金も稼げないし、時間だけは経っていく

みたいな、
何というか正直に申し上げてその時食ってたドトールのケーキの味も分からなくなるような、絶望的というか、クソみたいな悪循環というか、

言葉を選ばずに言わせてもらえれば
奇跡でも起こらない限りは抜け出せないまま死んいくであろう輪廻
みたいなワードが去来してしまった。

そして、この話の残酷なところは、
僕よりも自頭も理解力も洞察力も優れてるであろう、この国公立法学部卒オジサンが、この地獄輪廻に気付いてないはずがない。

日々「あー俺多分この地獄から抜け出せねえんだろうなぁ多分なぁ」と、明確に喉に刃を当て続けられる生活、というのはいかばかりか。
僕なら多分毎晩叫んで暴れ回りたい気持ちになると思う。

努力してない、という呪い

この手の話は

・国公立大卒の人が皆そうなってないなら、本人の努力不足
・努力できません、ってのを体よく言い訳にして包んでるだけ
・ハイハイ自己弁護乙
・誰もが必死に生きてるんです、貴方だけがツライのではない

みたいなことがネットだと散々言われてて、僕も正直
「国公立さえ出ちゃえば後はもう勝ちなんだろーなー、いいなあ俺も出ておけばよかったなぁ」
くらいのことは思ってたのだが

(勿論だからっつって当人に非がないのかとか、選り好みせず仕事探すべきだバーカとか諸々言いたいことは各位あるだろうが)

こうして実際にお話を聞くと、
頭が良くて、努力しなくても答えが出せて、
結果いい高校に入って、そこでも優秀な成績を収めて、
結果としていい大学に入って卒業した結果、
まさかこんな目に合うものかとは、僕は全く思ってもなかった。

念の為、「じゃあ実際国立大に行ったのは失敗でしたか?」と聞くと、凄く難しい顔をされて

「正直な話、国公立出たのにアイツは努力もしない、調子乗ってる。とか、国公立出てるのに使えないし、仕事もできない。みたいな、行ったばかりに言われることも多いけれど、一方であそこで国公立を出ないでいたら成功したのか??というと、それもまた違うと思うので、失敗ではなかったと思う」

「明確に失敗があったとしたら、それは努力せずに結果が出ちゃった時点で『これではマズイぞ』と気付かなかったことかも。」
と言った。

最後に

このやり取りを是非とも皆にも聞いてほしい、アドバイスも貰えるかも、と言うと、オジサンは公開に快諾してくれたのだが、一点だけ
「きっと、今からでも遅くはない、努力し始めるのに時間は関係ない、
と言う人や、本当にそう信じている人もいるかと思う。
それはある種の事実ではあると思う。趣味とかの世界であれば。

だが、派遣社員で30も過ぎ、必死に英語の勉強や資格取得に邁進し「努力」もしていても世間で働いている人たち、
私から言えば『20年以上の努力の差』がある人たちに追い付くことは
正直な話、もう難しいと思っている。」
と答えた。

僕の偏見ではあるが、
「たとえば本人が得意としている、勉強面=Aを教わってAが適材適所に返せるようなスキル、が武器になるような職業を探してはどうだろうか、全くわからないけれど、薬剤師とか、弁護士とか、医者、科学者のようなアカデミックな場なら活躍できるのではないか」と伝えおいた。

その日はそれで別れた。

※これは完全に僕の勝手な偏見であり、実際ツイッターでも「弁護士は無理だと思いますよ…」とのお声もいただいたので、是非とも皆さんからのご意見やご批判、似た境遇の方からのお話などをいただければ幸いです。


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