言葉はさんかくで心は四角だなあ

言葉、というものは酷くあやふやなので、魅力的だったり、怖かったりする。

僕は残念ながら非常に口が悪い。
だがしかし、愛のある人間ではいるつもりだ。

だけど、言葉でしかものを感じられない人には全く理解してもらえないことがままある。

別にそれに対していきどおりとかはなくて。というか普通に口が悪い自分が悪いから当たり前に何も思わなくて。

でもまあ、正直あんまり気にしてもいない。

誰にも嫌われたくないな、と思って生きたりしてみたんだけど。
誰も傷つけずに生きるなんて、そんなこと無理なんだなと思ってしまう様になった。

目の前のあの人は何を言われたら傷つくんだろうなんて、ある程度推測することはできても、当て続けることはできない。
無難な話だけどし続ければ当然回避し続けられるのだろうけど、残念ながらそんな性分ではない。SNSについてもたまに人に言われることはあるが、残念ながら僕は誰かに嫌われないためではなく誰かに好かれるために発信しているのでエゴは絶えず垂れ流され続ける。

それでも言葉を大事にしている人と向き合う時は、凄く緊張するし、自分の口の悪さを恥じたりもする。
きっと僕は、出会い方一つでこの人嫌われてしまうだろうなと、僕は好きなのになと、そう思った時に少し自分を反省したりする。

そういう自分である根底には、とにかく面白ければという価値観があるからなんだけど
多分その価値観自体が、誰にも嫌われたくないという思いから来てるから
自分自身の中で矛盾があって、嫌われる覚悟を持った人と接してると自分が恥ずかしくなるんだろうなと、最近生き生きとしてる人達を見てまた気付かされた。

まあでも、多分面白ければという価値観ももはや大事になっているので、僕の在り方やり方はもはやあまり変わらないのだろう。

けど、本当に面白いってどれだ、って所をより洗練させていく必要があるなあと、最近ようやく思うのでした。
自分の感受性に餌をやり続けなければならない。

あと、まあ大人って怒っても言えないからへんにこじれると思ってるから、友達に傷つけられたら言うよ俺は。
そして言ってくれる人がまわりに残ってるんだろうな。
そこに愛があればいい。

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