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雨の休日に家出した

6月も終わりだというのに冷たい雨が降る土曜日、午後3時。私はいま、家をとびだしてドトールへいる。

こんなこと言ったらドトールに失礼かもしれないけれど、落ち込んでいるときのドトールは居心地がよい。

競馬新聞に顔をうずめ、寝ているのか読んでいるのか分からないおじいさん。お墓と病院と嫁の話題でひとしきり盛りあがる年配のご婦人グループが3組。顔を寄せあい会話するカップル。皆が、ほんの少しだけ疲れているようにみえる。たぶん私も。

ぼんやりとTwitterをひらく。

私のアカウントは働くお母さんが多いので、平日は「しごと大変」「育児しんどい」がタイムラインを猛スピードで駆けぬけていく。

けれども今日はお休み。土曜の昼下がりは、子どもの可愛らしいエピソードに、面白かったWeb記事のシェア、買ったもの良かったもの食べたものetcetc…。

そっとアプリケーションを閉じて考える。

なぜ、こんなに夫に対してイライラするのだろう、と。

発端は、夫が毎年受験している「国家試験」だった。

「毎年受験」と書いたのは、毎年受けて、毎年落ちるからだ。一応、夫の名誉のために付け加えておくと合格率は20%前後(←調べた)と、決して簡単な試験ではないことは分かっている。

ただ、同じ難易度の資格はすでにいくつか保有しており、理系技術職として受験する分野にも明るいわけだから、まったく無茶な挑戦ではないはず(私自身も、夫と同じ学歴職歴だからだいたい分かる)。

なのに、落ちる。それも4年連続で。

その試験は年に一度、日曜日に行われるので、当然、夫が試験の日は私がひとりで子どもたちの相手をする。

4年前は、妊娠中に1歳児を。その翌年は、0歳と2歳のふたり。去年は、またまた妊娠中に、3歳と1歳を一日連れて遊びにでかけた。そして今年は、子ども3人。
試験日が1ヶ月後に迫り、「あああ。またあの憂鬱な一日がやってくるのか」と胃がキリキリと痛む。

毎年毎年、この日は「試験だからしょうがない」と、自分に言い聞かせて夫を送りだしてきた。

なのに、落ちる。だって勉強してないから。

なんなんだよ、もう!!落ちるくらいなら最初から受けるなよ!!べつに、夫がその国家資格を持っていようがなかろうが、私には関係ない!!!寧ろ、毎年毎年毎年毎年…。数万円の受験料を家計から出すほうが痛いんだから(合格すれば受験料は会社負担)!!!

ハァハァハァ……(疲れた)

これを、本人に直接言ったところ「痛い痛い、正論すぎてなんも言えない(笑)」とかえされた。

むぐぐ。かっこわらいじゃないし。

そもそも、資格が仕事で必要なら初めからトップギア入れて勉強しろよ。それでも落ちたら「残念だったね。頑張ったのにね~」なんて、優しい言葉のひとつもかけるから。

ハァハァハァ……(疲れた、2回目)

書いていてちょっと疲れてきたので、ドトールの冷めたコーヒーでも飲みつつ、ひとまず落ち着こう。

私が憤る最大の理由は、「夫が、資格試験に対して力を尽くさない」ということではなく、おそらくこっち。

パートナーが担うであろう「ワンオペ育児」の負担を軽くみている、ということだ。

そう夫に言うと「そんなことはない」と力強く返されると思うけれど、私が(勝手に)そう感じてしまうから仕方ない。

パートナーに育児を任せて「試験」を受けるのであれば、一発合格する覚悟で挑んでほしいのだ。

「本気だせよ!!」

私のなかの松岡修造が、夫へ「喝」を入れたくて疼きはじめる。

しかし、さすがに30ウン年、コミュニティのなかで生活していると分かる。「他人は変えられない」っていうことに。

私が現在、夫に対して抱えているモヤモヤとうまく付き合っていくため、「自分を変える」しかないんだろうな。ワンオペ育児がしんどいならば、ひとりにならないよう、適時シッターさんを頼む、とかね。

そういうわけ(?)で、ワンオペ3人育児未経験の夫に、本日は4歳、2歳、0歳の子どもたちを託して、家を空けることにしたのだった。

「夫に、子ども3人を同時に任せられない」

どこか、そう思い込んでいる私自身の思い込みを変えるためにも。

(さささ、noteに吐き出してスッキリしたから、帰ろ帰ろ)

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