綺麗藤一

月まで走るぞ

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金城一紀『GO』

 初めて金城一紀氏の本を読んだのは、自分は少し賢いと勘違いして、物憂げな子を演じようとして、それでいて人を笑かそうとして落ち着かない中学三年生のときだった気がする。  この本は、ぼう、っとした目ではなく、一点をみつめることを厭わない姿を見せた人に、読んでみるといいよと薦めている本だ。一言添えて。 「かっこよくて、ギラついてて、きっと痺れるよ」 何度も何度も読む。苦しいときも、ぐんと背伸びしたいときも、まだまだだと言い聞かせるときも、読み返そうと思う本の中にこの一冊がある

    • 03 最果タヒ『十代に共感する奴はみんな嘘つき』

       走る車の方向が決められているように、冷蔵庫は開けたら閉めるように、感情も自発性をもたず選んで使用されている。実際に生活している人間よりもよっぽどTPOを熟知している感情に誰も異論を唱えないし、そうであることに同意する。無茶苦茶な世の中だ。生きる以上その無茶苦茶から逃れる事は出来ないし、生きる時間と比例してその無茶苦茶と同化していくのが人生だ、なんてことを口にしたならば、罵倒される。  可能性を信じろなんてどこの誰が言いだしたんだ。可能性は描いた未来じゃない、都合よく片付け

      • 02 西加奈子『きりこについて』を読んで

         野暮な質問ですが、本を読んで声を上げて泣いたことはありますか、私はあります。はい、と答えた方なら、それは頁をめくる手が止まったときでしょうか、最後の一文を読み終えたときでしょうか、それが私の場合、どうしたことか、すべて読み終えて、裏表紙にもそっと目をやって、いちばん初めに見たはずの表紙にもういちど寄り添って、そうして小さなこの文庫本を木目調の机に置いたときでした。表紙の猫の目がこちらをみていました。それだけで、不意に心を包んだこのうすい膜のようなきもちを受け止めて泣く理由に

        • 01 村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』を読んで

          高校二年生だった私は、本屋の棚の一番上に並べられたその本を手に取ることができず、店員に「どうかあの本を取っていただけませんか」と頼むこともできなかった。制服は夏服だったか、冬服だったか、覚えていません。なんとなくだけど、とても暑い日だった気がします。根拠はないけど。  あれから4年が経った。本屋は違えど何故か相変わらず棚の一番上に並んだあの背中を見つけ、手が届くかどうか試そうもせず、近くに置いてあった足台に登って簡単にその本を手に取った。あの日と違う、染めた髪と化粧をし

        金城一紀『GO』

          いつかのおはなし-潟ケ谷あつ子-

           すらすらすぎる、とあっちゃんは思っていた。国語の授業における、かなたくんの音読のことだ。 皆は、わからない漢字がでてくると声が小さくなるか、ごにょごにょと聞き取れないような読み方でやり過ごそうとする。あっちゃんにいたっては読むのがとまってしまう。だって漢字が読めないことによって、リズムは崩れ、リズムが崩れることによって、文の切れ目がよくわからなくなり、それまできちんと読み進めてきた文章が全てぱあになってしまうから。 顎のラインで切りそろえられた細く黒い髪を震わせて、唇を

          いつかのおはなし-潟ケ谷あつ子-