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将来子供が産まれた時の為に、僕はesportsにおける“男女平等”を否定したい。

こんにちは、よろずです。

最近esportsについての意見を発信したりとか、この記事を書くのが楽しすぎて、これからもずっとこういう活動を続けていけたらなぁと思っています。

恐らくこの調子で行けば、僕はesportsは今後ますます発展していくだろうという風を肌で感じているし、そうします。

10年後でも、20年後でも。

さて。

今書いたように、10年後20年後もesportsという競技が続いているのであれば、その時には僕は子供を持っているかもしれません。

そして、もし仮に自分の子供が「esports選手になりたい」と言ったなら。

性別も年齢も関係ない“平等世界”。

男性や女性、お年寄りの方が存在する現実世界とは対照的に、殆どのゲームでは自分以外の“キャラ”に扮することが出来ます。

皆同じ身長、体重、能力。(キャラごとの性質は違えど)対等に競い合うことのできるという点は、esportsの特徴であり、長所だとみなされています。



そして、最近では聴覚障害を持った女の子(EwOkさん)が海外トップesportsチームの「FaZe Clan」に所属したことも話題となりました。


esportsという競技はゲーム内だけではなく、その枠を飛び出して、様々な人が平等な可能性を持ち得るものになりつつあることを感じていました。

そして、男女平等や、バリアフリー化が推進される今日の日本において、「差の生まれにくい競技」は今後社会的地位を確立し易くなってくるのではないかと容易に想像出来ます。

僕も男女平等は素晴らしいことだと思うし、皆が皆自由にやりたい事をやれる社会になるべきだと思うし、何よりも好きな事を好きなようにやれる社会を理想としていました。

でももし、障がいの子を授かったら。

でも一度冷静になって、自分が親になった時の事を考えてみる必要があると思い、想像してみました。

子育てについて考えるのは少し早すぎる気もするのですが、まだ子育てしてもらってる途中だしね。

でも、子育てって自分が出来なかった事とか、理想を押しつけたくなってしまうじゃないですか。

だから僕は自分の子供には勉強の大切さ、人として当然のマナー、その他人生の考え方をしっかり伝えた後は彼、彼らを信じて好きなことに尽力してもらいたいとは考えているのですが、色々心配事もあります。

もう過保護っていう。

今回は一例としてesportsを出しますが、子供達がゲームプレイヤーとしての道を選ぶということは、「ゲームの中のキャラ」として見られるようになります。

ゲーマーであればもうお気づきであろう。
「悪口、暴言、性的な発言」を間違いなく受けるということです。

言い方も少し過激ですが、友達同士で冗談半分に話し合うのは大いに構わないんですよ。
俺男子校だしね。そういうのが1番おもろい事知ってっからね。

それは分かっているのだけれど、そういうのは同姓同士だけにしてねって言うことでもないんです。

同性同士のコミュニケーションしかできない奴も大変な目に合うって俺1番知ってっからね。

じゃあ何が言いたいのかと言うと、「目に見える、耳に聞こえるものだけが事実じゃない」という事を知っていてほしいのです。

僕たちという生き物は非常に愚か極まりなくて、ゲームを遊んでいるのにも関わらず、事実しか事実と認識できません。

ネットで仲良くなった人とボイスチャットを繋ぎ、話してみる。

カッコいい男の子の声かもしれない。
かわいげな女の子の声かもしれない。
或いは年相応の人生を味わった声をしているかもしれない。

でも、それは推定でしかないのにも関わらず、いつしか僕たちの認識は「カッコいい人」、「可愛い人」に変わってしまいます。
断片的な事実をかき集めた結果でしょう。

別にそれはいい。
誰も傷つかないし、傷つけてもないし。

でも、それが「自分と同じようなもの」になってくると、悍しさを感じてしまいます。

人生を経験する上で色んな考え、悩みを持つだろうし、それら全ては似つかわしいものはあれど、人それぞれ全然ちがうはずです。

もし自分の子に障がいや障壁があった場合も。

障がいと言っても今様々な種類の障がいがあります。

うまく聴覚が動いていなかったり、手足が上手く動かせなかったり(先端のみの場合も)、相手の言っている事を瞬時に判断できなかったり。

僕は皮肉にも「健常者」という枠組みに括られており、同様な人間が大半、そしてそのような人たちにとって障がいというものは慎重に思われがちでありながら、至るところに障がい、障壁(鬱や精神的な病気などをここではこういう表現にさせていただきます。)が存在しています。

そこに大なり小なりはありませんが、「気付きにくい」ものがあるのも事実だと考えています。

深く話すとどうしても語弊が生まれてしまうように思うので、どうか僕の考えがあなたにも伝わる事を望むしかないのですが、僕にも、あなたの周りにも障がいを持った人は多くいます。

だとすると、僕らが普段何気なく遊ぶオンラインゲームでも、気付かぬうちにそういった人たちとマッチングしたり、もしくはボイスチャットを行った経験があるのかもしれません。

そして同時に、誰かを傷つけていたり、もしくは意図的に傷つけているのかもしれません。

”差別“は守るためにあったのかも。

僕が1番懸念しているのは、esportsの発展ではなくて、”男女平等のその先“です。

今の社会の流れ的にも、これから日本だけではなく世界的にも男子優遇を減らそうとしたり、より色んな人が平等に、均等に評価される世の中になっていくだろうと思うし、それを望んでいる人も多くいるかと思います。

僕は日本でesportsが莫大な権力を持つとすれば、この「平等社会」に癒着して世間に浸透していくのだろうと想像しています。

となると、性別や年齢、体格能力を問わないこの競技はより優遇される方向に流れていくのだろうなと。

それはいい事だと思いますが、そこに僕が懸念する点があります。

それが、「自分と同じような人」だらけの世界になっていく事です。
んー、考えすぎかなあ。

今ゲーム界に多いのは、「ゲームが上手いのは男だけじゃない」とか、「小学生でもゲーム侮れない」とか。

THE平等主義的な意見だなあという意見をよく見ているのですが、僕は僕自身も、将来授かるかもしれない子供に対しても、良い意味で「同じではない個人」として評価してほしいなという願いが強くあります。

「ゲームばっかりやってるのに上手くない」とか、「俺の方が遅く始めたのにお前より上手い」とか。

平等化社会に伴って、自分と違う誰かを理解出来ない社会になってほしくないなと強く願います。

そんなくだらない大量生産型の人間で溢れてしまうのなら、“差別”でもなんでも使って「違う」事の重要性を説き続けようと思います。


ここまで読んで頂きありがとうございました。
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