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【思うこと】コロナってやつ。

どうも。ふへ歩です。
コロナもいろんな変異株が出ながら、2年ですか。3年になるのか。
一年目は学校閉鎖とか多かったですね。
おそらく田舎の部類の私の地元でも、外を歩く人がいない、という状況に陥ったりと「非日常」って感じでしたけど今では普通に学校あるようですし。マスクが日常になった、って感じですか。

そんな感じで……、今回は「コロナについて思うこと」を散文していきたいと思います。


コロナへの恐怖や不安って。

社会人だって、学生だって認識としては少なからず年数経ったところで「恐怖」という部分や「不安」という部分は完全にはなくならないだろうと私は感じる。

やはり、恐怖や不安に関しては人それぞれの価値観や、個人の重症化リスクというところだったり、ワクチンへの考え方も関わってくるだろうと思う。

私の身内、家族ですら皆くちぐちに言う考えはバラバラなのだから、世の中にしたらことさらにいろんな意見が飛び交うのは至極自然だろうと思う。
「なるときは、なるんだ。」
「ワクチン?打ってないよ。」
「重症だけ避けれればそれでいい。」
「怖がってたら何もできないじゃない。」
「コロナが怖いからできるなら外に出たくない。」
……、とまあこんな具合に。

社会人ならば、「仕事はリモートだから」とかあるかもしれない。学生はどうしても通学しなきゃならないタイミングは出てくる。
「いや、授業も何もかもリモートです」っているのだろうか。少なからずテストとかは学校に行かなきゃ受けられないんじゃないか。
そう思う、ふへ歩です。
実際どうなんだろう。
「仕事はすべてリモートです」っていう社会人はどのくらいいるんだろう。

すべての職業がリモートになれる訳がないのだ。
どう考えたって。
飲食店はテイクアウトだったりドライブスルーの活用、出前にシフトする……、などの工夫はできるだろう。けれども、スーパーやドラッグストアなどはそうはできない。一つのライフラインを支えている、と言っても過言ではないだろう。


未だに感染者数を数える日々。

「インフルエンザ」と同視するにはまだまだ時間がかかるだろうと思う。
確実にワクチンや治療薬は開発が進んでいるのだろうとは思うが、インフルエンザと同視して「マスクを外して、アルコール消毒と手洗いうがいのみ」だとかになるには、もう現実的ではないのだろうと思う。

インフルエンザでは毎日のように感染者を報道することはないし。
決して同視ができるレベルではないと思う毎日だ。

インフルエンザで亡くなった。
熱中症で亡くなった。
コロナで亡くなった。
「亡くなった。」ってなれば、報道されるかもしれない。
けれど前者の二つは季節的に報道されることはあるかもしれないが、コロナは年中無休で報道される。

同視できない理由として、上記のようなことがあげられるのでは、と思うのだ。


これからの日常に思うこと。

「なるべく必要以上に外出しない」は変わらないのではないか、と思う。
外出するにしてもマスク必須であることは変わらないだろうし。

社会人と学生の価値観の違いについては、個々に寄るところは多々あるだろうと思う。
ただ、「一人暮らしなのか、家庭があるのか」では考え方に大きな違いが生まれるかもしれない、と思うのだ。

ただ常に思うのは、コロナが早く共存できる世の中になって、マスクも一つの個性としていろいろなファッション性も認められ、様々な職種で可能な範囲で自由な働き方が認められて、多様性がさらに認められる社会になってほしいと。

多様性が認められれば、更なる可能性も広がるのでは、とも思うのです。
コロナとの共存。
長い道のりでしょうけれど、できたらいいですね。

またコロナについて散文できれば、と思います。