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お茶の話をしよう

何故この話をするかと言う話は最後に持っていくのでよかったら目を通して欲しい。

これが正しいとも思わないけど、私はこんな風に思う!と思考整理兼ねて書いておくので、よかったら感想ください。

たかがお茶、されどお茶。

話しててめんどくさいな、って思うけれどどうでも良いものには興味がない。

人と関わることはその人の偏りや執着、めんどくささを愛すことだと思うから。


初めに私にとってお茶や珈琲を飲み、過ごす時間がどんなものなのか、というこだわりの話をしたいと思う。

案外、お茶に対する距離感というものは人でかなり異なる。

私なんかは、日々お茶を飲み、好みの茶葉を揃え、淹れ方も自分好みにしていいったタイプ。

最近だと中国茶を蓋碗でいただくのにはまっていて、誕生日に茶器をもらったりする。

おすすめのお茶はホットの烏龍茶(茶葉については言及しない、台湾とか華やかな香りのものが好き)

紅茶やハーブティーも好きでカモミールの入ったもの、ノンフレーバードティも毎年福袋を買ってのんびり自宅で飲んだりもしている。

買うのならマリアージュフレール、ルピシア、ジークレフとか辺りが好き。

緑茶は、親族が八女と近い人がいるので、新茶をよくもらう、あれも美味しい。

珈琲系の話は、最近エスプレッソにはまっていて、アイスカフェラテやカプチーノを作る。焙煎自分でドリップはしていないけど興味がある。くらいの感じ。

飲み物全般の話で言うと自宅も実家も、常に人に出せるレベルで茶器、お茶を整えて過ごしている。ココアとかも頼まれたら淹れたりする。


なので、話をしたときに見るとこっていると言われることが多い、これは高校生にはそうだったので既に10年以上は経過している。

もう一つ、イギリスは紅茶をよく飲む。日本の緑茶麦茶くらいの感覚でミルクティをよく飲む。

向こうでとても好きだったのはクリームティー。

あっちで食べてとても美味しかったから日本にもあるかと思いきや案外ない。

アフタヌーンティーが近いけれど、スコーンとクロテッドクリームとジャムと紅茶でいいのである、そんなに豪華でもない感じ?って言って伝わるかなぁ。


ってお茶の布教の話はここらで止めて、お茶との距離感に話を戻す。

なので、自分の家はお茶が普通にある家だった

けど、母はそういうのは得意ではないので飲むの専

祖母とかはお茶好きだったので、毎晩、夕飯が終わると私はお茶や珈琲を入れて語らっていた時期もある。

今もその流れは続いていて、母や義理の父のお茶を淹れるのは私だし、祖父母の家に行っても茶器を用意してお茶会の時間がある。 

要は食道楽の家族と親族の元に私は育った。

前回結婚したときに、結婚祝いに友達が連れて行ってくれたのはアフタヌーンティーだったりねw

今でものんびりしにホテルのラウンジでお茶をするし、自分が淹れないだろう発想の飲み物はあえて飲むことがある。

私にとってお茶は人生と切っても切り離せないもので、とても大切なもの。


結婚するなら、夜はお茶を飲みたいし、一緒にご飯美味しいね、ってお茶や晩酌を楽しめる人でなければ伴侶にできないと思っている。


さて、なんでこのnote書いてたり、発言が強火になってしまっているかって話をしよう。

私は前回の結婚では、些細なことは擦り合わせればいいし、まあいいや許せるって思いつつ結婚した。

けど、蓋を開けたら生育環境や食へのプライオリティの違い、親族との距離感、マナー感の違いは致命的と言って良いほどのものだった。


ハレの日だけの話なら、許容すればいいって思っていた非日常より日常が大切だと思ったから。

けど、一事が万事だった。

例えば金銭感覚やマナー感の違いだ

どこまでを許容して、どんな距離感で人と付き合ってるかという、点ではなくて広く価値観の話になる。


ハイレグパンツで、コマネチみたいな動作をスタイリッシュにやることが挨拶である、地域があるとして

やらないやつは挨拶をしていないことになる

それなら長いものに巻かれて相手の文化を理解して実行するのかどうか

郷に入りては郷に従え、でやることができるのか、中間の答えを探すのか、共通の挨拶だけを抜き出してみて交渉するのか?野蛮人と罵るのか、は人としての生き方が出るんじゃないだろうか。


元結婚相手は相手は食べれればなんでもいいとか外食は無駄とかよく言ってたのを覚えてる。

私は人と会うときにTPOも考えて場所を選択する、費用対効果やトータル考えたときにそれでも安い、と選択したりする。

別にそこのすり合わせをする必要は感じなくて別の主義だなと思っていたんだけど

向こうはとにかく安い事が正しい人だった。どんなに不便でも安いものを選択する

(今思えばそこからして生き方があっていない数100円のために風邪を引くとか1時間使うとか)

なのでもうおもてなしに対する考え方も違う

社会的儀礼としてのお歳暮とかには理解を示すけれど、形はだけを追って精神が違う。→なんか送ればいい、送っていれば質も問わない100円でも安ければいい、相手は見ていない

とにかく高いものを選択すれば喜ぶと思っている

あと、きつかった経験としては、婚約者とは高級なお店にいくものだという学習はしている

だけど、気遣いとしてお皿重ねて集めるし、水でいいですとか答えたりする。

そこをマナー違反とか言うような教育は受けていないから言わない、相手にとってはそれが気遣いだと理解できるから。

けど、隣からどう見えるのだろう。ととても辛い時間だった

しかも高いだけで美味しい店でもない。クリスマスのぼったくり雰囲気売りの店って感じ。

生き方が合わないってのは、一緒に暮らしていく上で悲惨なのだと思う。

向こうはきっと私を浪費するとか思ってただろうしね〜


あとそれと関連したり、しなかったりだけど、私の生育環境の話をする

父親は今で言うモラハラとDVをする人だった。

淹れてる珈琲が遅いと怒鳴られたり、食ってかかられたりした。

誰の金で飯食ってるんだってテンプレのセリフを聞いたこともある。

養って欲しいだなんて母も頼んではいなかった(専業しろ仕事辞めろは父の希望)

母に対して料理が上手くない、手抜きだ、気遣いができないだとかよく絡んでた。disらないとプライドが守れなかったんだろう。

父方の祖父母の家にいった帰りは多くの時間が反省会だった。

これは後で知ったんだけど、祖父母家は母をいびっていたし、今思えば居心地いいはずもなかった。ずっと正座で出されたものをとにかく食べる。

ものは無駄にしてはいけないというありがたいお話を聞きつつってのが私に残るその家に行った時の記憶。

結婚時の挨拶に何故か息子を盗むみたいに食ってかかられたりとか言われたりもしたそうだ、今は笑い話だけど。


で、ここまでが大前提で

なんでロイヤルミルクティの投稿がイラつくのかってところの言語化をする。


その話何?って人へ向けて

とある結婚相談所の仲人の人が投稿をした。これをみて欲しい。元データはロイヤルミルクティとか検索したら

誰があげたとかとかも見れるし、当人はその投稿を消したらしいので電子の海の中。

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まず気になったのは、遠慮なくロイヤルミルクティを頼むとってのののロイヤルミルクティの話。

ペットボトルですら見かけるようになったロイヤルミルクティ、そんなに特別か?頼むかどうか躊躇するほどに手が届かないものなのか。

深夜に気になって値段を調べていたら10ホテルくらい見てもブレンド珈琲的なものと比較して同額〜200円差くらいまでしか見当たらない。

珈琲やカフェラテと比較して少なくとも2倍以上の価格のロイヤルミルクティがどこかにあるんじゃないかと思ってるんだけど今のところ見あたらない。

同額だとしたら何を遠慮や気遣いできるんだろうか、珈琲苦手な人もいるのに。

遠慮なく、の遠慮の面も気になった

婚活してる人は会話もなく注文するのか?これ頼みます、これが好きなんです〜飲みたかったんですとか、普通に話さないのだろうか。

それともその会話をした上で、注文しても後出しの悪口の如く遠慮ねーなこいつ、みたいになってるのか文章から読み取りにくい。

そんな無駄な試しやってる人がいる可能性がある?


で。その後の文脈だ〜気遣いができない女性と思われます。

ってことは、ロイヤルミルクティ頼む人は気遣いがないって話につながっている。なるべく安めの、と言う話なら珈琲と比較して200円程度しか差がないからだ。

なので、おそらく参照してるロイヤルミルクティが違う。

余談だけど、ドトールとかタリーズでもロイヤルミルクティとコーヒー系の値段の差はそんなにないあって100円程度。

相手と同じものでも頼まない限り気遣いできない判定を抜けられそうにないことがわかる。


その話と類似するのが仕事での会食の時、上司より高いものを頼むなってやつだ。

普通、上司とのご飯の時に、奢られるからと言って店内で1番高いものとか頼まない、周り定食、自分だけ鰻重4000円みたいなの。

婚活って上司との会食なのか?と疑問にはなる。

けど、今回の飲み物は同額すらあり得るから当てはまる話ではなさそう。


気遣い言うなら、上司はその場で誰よりも高いものを頼むはずである。そんな縛りのある上司とのご飯も減ってきてる印象なんだけどね・・・


人に対して気遣いができないという人間の姿はモラハラだった父ととても重なる。要は相手の手のひらの上はなく気に入らないとかが含まれてくる。

マナー違反だとしても直接指摘するのもマナー違反になるから、普通はやらない。つぶやくということは余程腹に据えかねているってことになるのだろう。

ロイヤルミルクティの注文という1点について書いて、前後関係を補足できないから賛否両論になってしまったのだろうなぁ、ととても思って見ていて。


お茶はお茶の時間を楽しむための大切なものなのであって、それを理由に人にケチをつけるのは飲み物への冒涜なんじゃないかとすら思っている。

もちろん、タダ飯食えるから好きなものたーのも❤️みたいな人が存在しないとも思っていないし、それはそれでおもてなしされ方を学んでないんだろうなぁと残念な気分になる。

大切な友人、恋人、家族との時間を過ごそうとしたときに

今日奢るよって言われたときに、その気持ちを受け取ると共にどう返そうか、何を報えるだろうって受け取るときに想いも受け取るから影響は必ずあるはず。

お茶の時間を人のジャッジタイムとして商売化してるのはなんか自分の中ではしっくりこないんだなと言うのが結論になってきてて

一生の食事の回数は人生80年の時におよそ88000回と言われているけど

自分の中で食事は生きる糧の大切なもので、奢られるにしても苦痛なら自分一人で好きなもの食べた方がずっと美味しいことを知ってるから

大切な飲食を、どうでもいいもの、どうでもいい人とするの?と疑問にもなった。(どうでも良くない人と出会うための婚活だよな?)



なので

・ロイヤルミルクティに限らずお茶と相場感自体への理解のなさ

・気遣いがないという明確な敵対的な書き方

・主語が広かった

・好きなものを頼むのを頼みにくくしてくる、裏を考えなければならなくする、マナー講師が嫌い


当たりが引っかかりポイント。

・私にとってお茶の時間は人生の中で多くを占める大切なもの、人をジャッジするために使うのは無粋の極み

・価値観がかけ離れている人とは仲良くなれない


っていうお茶好きオタクみたいな話で終わるのでした。


これも、結局金のかかる女は嫌だとか海外旅行趣味の女とマッチングしたくないみたいな話と多分変わらん。だから燃えた。

出会う必要のない階層が出会うと議論の前提が違いすぎる。

ってだけの話だったと思う。

語りたいから書いたけど、紅茶もコーヒーも最高なのでレッツティーブレイク😘









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