日記2024.2.12-noteを始めた理由的な。

 生きてて何にも楽しくないな、と気づいた。うんざりしていた。朝起きて化粧して電車とバス乗りついで会社行って、残り時間で少しの本読んで。本読んでたらマシなほうで、たいていSNS見て気づいたら深夜になっている。飽き飽きした服、同じメイク、同じ且つ厄介な仕事、変わらない私。
 昔読んだ加藤諦三さんの本に「生きてて楽しくないと思っている人は、今までの生き方が間違っていた」と書いてあった。今まで押し殺してきた自分への無力感と諦念が私の中のほとんどを占めていた。
 何もかもの気力もなく、どこを開けても暗闇につながる思考の中で、どうせ死ぬんだから、好きなことして死にたいと思った。
 ところで、恐怖心から私はとてもケチである。欲しい気持ちを我慢していくうちに「私にはお金をかける価値がない」と、購入意欲が意識にあがることもなくなった。そうすると、今あるものだけで生きていくのがデフォルトになる。「私にお金をかけるのはもったいない」卑下は、当たり前すぎて抑圧だと気づかなかった。自由を知らない独裁国家の国民のように。でも今、私は生きてて、これ以上ないくらいに楽しくないのだ。

 だから私はその日『東京喰種』をレンタルしてきて(いきなり買う勇気はない)、「TKfrom凛として時雨」のアルバムを借りた。彼の著書も買った。どういう人か知らないのに。そんな流れでnoteも開始した。どうせ死ぬから私の文章を流してみようと思った。読んでくれる人がいるかもしれない。トラウマ治療も受けるつもりだ。「つもりだ」っていうものが多すぎるから宣言するが、トラウマ治療をする。
 そしてきのう、2曲しか知らないのにTKさんのファンクラブに入った。5/26のLIVEにも行くつもりだ。(つもりだ、じゃなくて…)
 自分を抑えつけるのが嫌になった。自分にはお金を使うだけの価値がないと何度も自分の頭に刷り込ませるのが嫌になった。私をこの世の底辺の人間だと思ったまま生きていたくなかった。そう思わせてきた何もかもを殺したくなった。
 私は早く死にたいとよく言うし、それがどんな夢よりも強い私の願望だが、でも、本当は嘘だ。
 私は生きたいのだ。愛されたい、もっと本を読みたい、小説を書きたい、いつか、生きててよかったと思いたい。
 良く生きられないなら死にたい、

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