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「弱い」ジャーナリズムのほうが、たぶん強い

今朝池袋のジュンク堂に立ち寄ったら、コルクの佐渡島庸平さんのコーナーを見つけました。次世代のビジネスリーダーに読んでほしいバイブルというのが5冊ほど並べられていて、その中で1冊目にあったのが「なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか」(英治出版)でした。佐渡島さん的に一番のオススメのようです。

そういえばこの本、大学院に入ってすぐの1年ほど前に買ったような。。帰宅して探してみると、やはり二重本棚の奥にありました。(今回は特にこの本の内容そのものには踏み込みません)

なぜこの本を手に入れたのかというと、修士論文の研究タイトルの仮決めにまでさかのぼります。無理やりひねり出してみたわけですが、とっさに口から出てきたのが「弱さからジャーナリズムを再興する」というものでした。

「弱さ」という補助線を引くと、ジャーナリストたち(僕も含めて)がもっと呼吸しやすくなるんじゃないかと直感的に思ったんです。で、ゼミの帰りに書店の棚をあらためて眺めてみると、「弱さ」をテーマにした本があるわあるわ。それまで全然気づきませんでした。

「フラジャイル 弱さからの出発」(松岡正剛)「弱さのちから」(鷲田清一)「弱くても勝てます」(高橋秀実)「なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか」(ロバート・キーガン、リサ・ラスコウ・レイヒー)……。とりあえず、手当たり次第に「弱さ」をうたう本を買いあさりました。

その後、弱さについて直接的に研究を深めることはしてこなかったのですが、やはり「弱さ」はこれからのジャーナリズムを語っていくうえで大事なキーワードになるはずだと、ずっと気に留めてきました。

では、弱いジャーナリズムって何でしょうか。僕の考えでは、自分(たち)はここまでは分かった、でもここからは「分からない」ということを素直に表明することなんじゃないかなと。そう言ってしまうとものすごく単純なんですけどね。でもなかなかできません。

例えばですが、この弱いジャーナリズムを体現している人に、オランダ人ジャーナリストのヨリス・ライエンダイクさんがいます。彼は人類学を学んだ人なんですけど、金融危機後に知識ほぼゼロから金融について理解を深めていく過程をイギリスのガーディアン(Web版)で連載しました。日本でも「なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか」というタイトルで出版されています。

糸井重里さんとの対談で、彼はこんな発言をしています。

ジャーナリストという立場では『これが事実です』と言わざるをえないことを、ウェブでは『なにも知らないんですけど』とか『まだ調べている途中で間違っているかもしれないんですけど、こういうことがわかったんですよね』ということをオープンにしながら、やっていける。(中略)お互いが、この情報は間違っているかもしれないと肝に銘じながらやっていけますから。

これ、父権的な伝統的ジャーナリズムの世界観では、一蹴されるような発言です。でも、たぶん彼のような「知らない」と弱さを見せる姿勢のほうが、ぐるっと回って今や強い。なぜならジャーナリスト本人よりもはるかに知恵のある人はこの世にたくさんいて(当たり前ですが)、そういう人びとを味方にすることができる。これって強い。ウェブ時代では特に。

このCOMEMO with noteも、弱いジャーナリズムと親和性が高いんじゃないでしょうかね。ニュースをいろいろな人びとの知恵で補強していくエコシステムとしての伸びしろがまだまだある気がしています。

#COMEMO #NIKKEI #ジャーナリズム

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