生涯

【四苦八苦】(しくはっく)

 あらゆる苦しみ、非常な苦しみのことをいう。最近はそれほど大した苦労でなくとも「四苦八苦してるよ」くらいの慣用句で使ったりもするが、本来は生きている者なら誰でも経験しなければならない、どうしようもない苦しみのことなのである。
 この言葉の歴史は古く、仏教の前身になったインドの哲学、ウパニシャッド哲学からきている。

 ひとくちに「四苦八苦」というが、「四苦」と「八苦」を合成した言葉であり、その二者はちょっと内容が違っている。
 「四苦」は、
  生(しょう)
  老(ろう)
  病(びょう)
  死(し)
の四つの苦しみを表し、
 「八苦」は
  愛別離苦(あいべつ・りく。好きな人といつかは分かれなければならない辛さ)
  怨憎会苦(おんぞう・えく。イヤなヤツと仕事などで一緒にいなければならな
       い辛さ)
  求不得苦(ぐ・ふとくく。求めるものが得られない辛さ)
  五盛陰苦(ごじょうおん・く。いやなものを見たり聞いたりしなければならな
       い辛さ)
 を表している。
 「八苦」といっても四つしかないじゃないかと思うかもしれないが、そこがウパニシャッド哲学の独特のものの数え方で、合わせて八つ、ということだ。
 「五盛陰苦」(ごじょうおん・く)は「五陰盛苦」(ごいんせいく)とも言う。いずれも人の心身を成り立たせているものが原因となって発生する辛さで、仏教学的に言うと色・受・想・行・式の五つが原因ということになっている。要するに、なまじっかちゃんとものが見えたり、感じる心があったりすると、それがやはり辛苦の原因となるのである。だからといって何も感じないほうがいいということでもないが。
 ほかの苦はさほど解説する必要もないだろう。たとえばどんなに愛する相手、配偶者であっても自分の子供であっても、いつかはどちらかが必ずはやく死ぬ。必ずそうなるのだから避けようがない。

 このように、「四苦八苦」は生まれてきた以上、どんなにお金があったところで、愛情に恵まれていたところで、絶対に避けることはできないものである。これらの苦労から完全に逃れることができた状態が、「幸福」というものなのかもしれない。
 人類は、これらの苦労から逃れるためにこれまで幾多の試行錯誤を続けてきた。そして、たとえば医学の進歩などで、「四苦」のほうは多少なりとも緩和されるようになってきたのは事実だろう。しかし「八苦」のほうは、どうすれば解放されるか、その糸口さえつかめていないのが実状なのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?