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「教養」とはなんでしょう。知識、学問、文化?答えは「視点」でした。(1)

結論は先にかけ!
というビジネスマンの鉄則に従い、結論から書いてみました。
これで読んでもらえるのか、コピーとしてのクオリティは未知数。笑

でも、これすごい疑問だったので、「教養は視点である」と説かれて腑に落ちた。すごくスッキリしました。JOYWOW大学ありがとう!!

教養って、リベラルアーツ?とか、なんだかいろんなことを学ばなければいけないイメージがあるじゃないですか。目の前の事象とかを、気の利いた表現でさらっと説明すると、教養があるなってなりますよね。歴史上の人物にならったり、原理なんかを説いたり、リア王のセリフ言ってみたり。

そうなろうとすると、歴史、古典、百科事典を丸暗記しないといけなくなっちゃう。博士ちゃんのようにはなりたいけど、結果、萎える。
暗記パンがあればなぁと、ドラえもんがいないことを呪って、教養を身につけることを諦めてしまっていました。

でも待ってください。そもそも教養はなんのために身につけるのでしょう?
ベルサイユの薔薇よろしく貴族社会に入り込むため?
バーで蘊蓄(うんちく)を語って「この人、素敵💌(ハート)」って思われるため?正直、ぼくはちょっとそう思ってました。笑

しかし冷静に考えると、それは、もっと大切な何かの役に立つためであるべきではないでしょうか。人の役に立つ、困った人の役に立つ、世の中の役に立つ。自分の人生を豊かにするためといってもよいでしょう。
そうでなくては意味がない気がします。単なる趣味や知識ギークでないのだとしたら。(造詣深い人は素晴らしいし、もちろん尊敬してます。一般の人にとっての教養という意味においてです。)

と考えると、必要なのは、困難を克服するための智慧であり、常識に囚われないものの見方。つまり視点。
そう解釈してスッキリしました。そういうことなら、教養を身につけるイメージもできる。

でも、読んでいただいた方は、まだ納得できていませんよね。たぶん。
なぜ視点が重要なのかは、次回もう少し明らかにしていきたいと思います。

あれ?結論から書いてるはずなのに続くなんて、、、すみません。


【今日の写真】(セイヨウアブラナ)

南房総に菜の花を見にいきました。旅とか出かけたりするのは好きなんだけども、花を見にいくために遠距離ドライブしたのは初めて。「花を愛でる」なんて一番遠い感情だと思っていたので、自分でもびっくり。


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