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「教養」とはなんでしょう。知識、学問、文化?答えは「視点」でした。(2)

教養とは視点である。これが前回の結論でした。
ここでは、なぜ視点が重要なのか、そしてどうやって手に入れるのかを説明したいと思います。

ところで「粗視化」という言葉をご存知ですか。
ぼくは50過ぎて、はじめて知りました。笑

人間は目に入ってくるもの全部が、脳に入ってきたらパンクするっていうじゃないですか。そこで不要なものを排除して、安全に処理しているという訳です。だから、ぼくらは粗い世界を認識している。しかも習慣的に。これが粗視化というものです。

教養というものが、人生を豊かにするためのもの、何か意義のあるものの役に立つものであるとしたら。その要が視点なんだと思います。

TVで流れてること、SNSで目にしたことをそのまま鵜呑みにすることは、たぶん豊かにつながりませんよね。役に立つこともあるけれども。

人生を豊かにするというのは、言い換えれば安易に諦めないことだと思うんです。お金がないからしょうがない。コロナだからしょうがない。背が低いからしょうがない。受け入れて進むのはOKだけど、諦めるのは豊かではない。

小学生の時のことです。体格がよい方がスポーツは有利ですが、ぼくは背が低いからこそできることとして、障害物競走に着目しました。網をくぐったりするのに小さい方が有利です。そうして障害物競走を得意種目にしたものです。しょうもない事例ですみません。

どんな状況でも打開するには、さまざまな角度、切り口、焦点で物事を分析することが肝要です。そのために、思い込みやバイアスを排除する必要がある。

「こんなことまで知っててすごいでしょ?」っていうのではなく、
「この問題の解決には、こういうことが役に立つよ。」というアウトプットです。
でも、これも知識ではないか?という疑問が湧いてきますよね。

そう、問題と解決策が 1対1、あるいは 1対n の対応であれば、必要なのは知識。AIbotでもそのうちできる。

でも、n対n 、 n対∞ の知恵は教養からくるのです。無限なものの見方によって。そのための視点なんです。そう思うと納得できませんか?

知識は確かに必要。ゼロではきびしい。では詰め込みではない活きる教養を獲得するためにはどうすればよいか。

1つはアウトプットを想像することだと思うのです。

「ああ、こういうことがあるのならば、こんなときには...」とか。こんなときに役に立ちそうとか、連想することでいきてくる。
でもこういうことは、たぶんできてますよね。

もっとも肝心なことは型にはまらないことだと思ってます。1つめに矛盾するのだけども、ふだん関心のないことに接する、縁のないことに身をおくことです。できれば無理矢理にでも。どんなことに役立つか想像もできないことに接して、なんの役に立つんだという疑問を封じてみることで得られるものがある。

視点はアイデアを生み出すものです。そして、状況を打開するアイデアは思いも寄らない情報の組み合わせによって生まれます。だからこそ、習慣的なものの見方をしないように意識することで、視点=教養を手に入れられるはずです。


【今日の写真】(エゾヤマザクラ)

「Picture this」というアプリは面白いです。ポケモンGoのように、いろんな草花をゲットしていきたくなります。散歩のお供にして「おや、これはなんていう花だろ?」なんて立ち止まってパシャっで名前を教えてくれる。画像1

これはエゾヤマザクラだそうです。
コレクションが増えていくのも楽しみです♪


よかったら試してみてください。アプリは↓こちらから。(Android版もあります)アフィリエイトはしてません。笑

ぼくは課金して使ってるんですけど、無課金については次のサイトが役立つかもしれません。

最後まで、読んでいただきありがとうございました!


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