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理想の演奏と音楽表現

 最近リアルタイムレコーディングをDTMで行っていて、演奏データを自分の理想とする形で完成できて、かなり満足しています。
 自分の演奏した曲の録音を後から聴いて、私はいつも落胆していました。
「違う!私はこんな風に曲を演奏したいんじゃない!ミスタッチもテンポのもたれも、フレーズの音量も、あれこれ許せないところばかり!」

 私はどちらかと言うと、完璧主義です。細かいことが気になるし、きちんと辻褄が合っていないと気持ち悪いし、曲がっている額を水平に修正するタイプの人間です(笑)
 音楽はある意味、とても数学的で、きちんとした計算の中に成り立っています。法則に則って音楽(曲)は構成されていて、その法則の中でのみ、音楽は輝きを魅せます。この法則をはみ出したものは、もはや音楽とは呼べないものとなります。
 例えば、ミスしたときにそこで止まってしまうことは、一定のテンポを保てないということですし、ミスそのものも音楽の音の構成を阻害します。力加減ができずに、つい大きな音を出してしまったり、逆に小さすぎてその音がよく聴こえない、ということも実際の演奏では起こります。

 自分の演奏の録音を聴くとき、それらの客観的事実が露見し、聴くに耐えられないものとなって、私を奈落の底に突き落とします。その奈落から救い出してくれたのが、DTMでした。
 DTMにおけるリアルタイムレコーディングというのは、音の入力を実際にデジタル入力機器(電子ピアノなどのキーボード)で演奏して行うものです。演奏したものはデジタルデータとして後に修正を加えることができます。デジタルデータになっているものは、例えば歌(人間の声)でさえも修正が可能です。録音してみたら音痴だったので、正しいピッチ(音程)に修正することも、男性の声を女性の声に変えることも可能です。

 難曲と言われている超絶技巧のピアノ曲でも、DTMならば実際に弾いたように装う?ことができてしまいます。実際にはその曲を完璧に弾くことができなくても、こういう風に弾いてみたいという表現を実現することができます。
 例えばテンポ(速度)も実際にはそれほど速く弾くことはできないけれど、デジタルデータ(MIDIデータ)になっていれば、神業的な速度で演奏できます。昨今ではオーディオデータでも、ピッチ(音程)を変えることなくテンポを上げることが可能となっています。
 どこまで修正を加えるかは、その人の考える理想形によりますが、自分の演奏技術と照らし合わせ、明らかに「これホントに実際に弾いたの?」と思われない程度に修正を加えています(^◇^)(笑)少なくとも、音の間違い(ミスタッチ)は完璧に直しています。

 完成したリアルタイムレコーディングのデータを聴くと、「ああ、私はこんな風に曲を解釈しているのだなぁ~」と改めてわかって、妙に嬉しかったりしました。
 実際に練習で曲を弾いているときは、自分の演奏を客観的には聴くことができず、自分の理想どおりに弾いているつもりでも、録音を聴いてみると、「あちゃ~、」ということがよくあります。それは自分の演奏に酔っているだけで、自分の出している音を理想の音とすり替えて、バーチャルとして認識しているに過ぎません。酔っぱらっているときは、すべてが心地よく夢のような気分でしょ?それと同じで、酔いからさめてみれば、悲惨な現実がそこにある、ってことです(笑)

 その後は完成したリアルタイムレコーディングのデータを参考に、なるべく理想の演奏ができるように、練習に励みます。いつでも自分の出している音を冷静に聴き、そこにはどんな音が相応しいのか、どの程度の音量で、どのような流れでその音に流れ着いているのか、その後その音はどのような経緯をたどってフィナーレに向かうのか、曲のテーマモチーフがどのように変遷をしているのか、等々、曲が終わるまで一時も休むことは許されないのが、音楽の演奏です。
 作曲家の意図しない箇所での停止は、即そこで音楽が終わることを意味します。それは練習の時でも同じです。(人前で弾くことだけが演奏の最終目的ではありませんが)ミスしたら弾き直したりしないで、音楽の流れを止めずに、最後まで弾きとおします。そういう練習をしないと、曲と大きな塊で認識することができなくなります。そうしないと、いつまで経ってもこの曲において自分がどんな表現をしたいのかわからないまま、ただ指を動かしているだけの演奏になってしまいます。

 演奏者は船に乗り、音楽の時間の流れに身を任せ、終着点まで流れ着く漂流者ではあるけれど、たどり着くまでに自分で舵をとり、寄り道をせずに最短距離で目的地まで行けるように、入念な準備と装備をして曲に取り組むべきものであると、そう考えながら毎日のピアノの練習をつづけています。


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