11月末日

毎日毎月毎年、終わるたびに虚しさを覚える。
今日もどれだけの時間を無為に過ごしたかな。
時間は有限。人生は儚い。
死ぬまで何回このフレーズを聞くだろうね。
うんざりする。

まるで有意義に時間を使わないことを罪のように言うじゃないか。虚しくなんて感じたくない。
そう感じさせるのは根底に無駄を厭う社会に洗脳されてるからだ。毎日精力的に生きねばならない。なんてのは詭弁だ。

堕落しない程度に無気力でありたい。その状態を肯定したい。頑張ってもストレス、頑張らなくてもストレスなんてごめん被る。


真面目腐って言い訳を並べた。
本当はわかっている。毎日を無為に過ごすのはさすがによくない。時に面倒なこともしないと人間は駄目になる。充足感は何もしないんじゃ得られない。
けれど、たまには何もしないことを心地好く受け入れたい。なのに生きている限り何もしなくていい状態になることがない。なぜだ。

休日は何もしなくていい日だろうか。
日々やり残したことをやる日になっていないか。日々やりたいけどできなかったことをやる日になっていないか。何もしないことを完璧に是と言える日だろうか。

私の休日は全くそうでない。
休日すら利用して自分を高める優秀且つ努力家な人々がいる限り、何もしないはそれだけでストレスになる。
人は人、自分は自分。そんな呪文はなんの効果もない。そこに差を生むべく頑張る人は偉いだろう?偉いと手放しで絶賛されるだろう?
それが自分にはおかしく感じてしまうんだ。
資本社会に向いていないんだな。
あまりに脆弱な向上性だ。

競争することでより良い社会へ〜目覚ましい人類の進歩を〜

そんなことより私は何も気にせず何もしないを実行できる社会が欲しい。生きているだけでどことなく苦しい。でもそれが今の正しさだ。

何もかもに言い訳して、自分以外の何かのせいにして、努力したくないと咽び泣いている。
自覚はある。
それが洗脳の上にできあがった客観的自分。
洗脳がなければ向上性思考の欠ける人間でも普通でいられるだろうか。

社会と競争は切って離せないものだろうから、考えても詮なきことだ。虚しさを感じる人はいるはずなのにな。競争すればその分、得るものは早いけどその代わりに何かをすり減らしている。
結局はトントンな気がするんだ。

こんな思考を抱えているんじゃ生きているだけで苦痛だ。
何もしたくない。何も考えたくない。
本当はもっと違う考え方をしたいよ。
言うてもできないから、結局やっぱり、何もしたくない。



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