カノエラナ、ライブ参戦記録vol.1

本記事は2020年4月5日に同作者によって別プラットフォームに投稿されたレポートです。

【序章】

『概念の波紋』

時は2016年の秋に遡る。16歳の高校生はその頃、音楽を旅し、練り歩いていた。そんな時にひとつの光に出会う。

「カノエ ラナ」

当時はAndroidユーザー。Google play musicの「あなたへのおすすめ」欄。
そこに添えられる名前に並んでいるあなたの顔を見て「チャラそうなお姉さんだな」と心の中で呟く。今思えば極めて短絡的な発想で高校生らしい。

ヒトミシリ を聴いて何かを感じたがその段階ではまだ「沼」の概念はなく、玩具箱の中に入れておく、くらいの感覚だった。それが10月のこと。

少し時を経て冬、歳をひとつ重ねるか重ねないかの時期にまた彼女のクラフトワークに触れる。それによって彼女が新譜を出し、リリイベがあるならば買い、行きたいと思った。
事実翌年の3月にそれは叶うこととなる。2016年12月、全てが始まった。


【第一章】

『鮮烈』

2017.0305
私は、何事もよく調べ、あらかたのことを理解した上で行動するタイプの人間である。これは音楽においても同様で、興味を持てばどのような楽曲があり、プライベートに差し障りの無い程度の経歴や同業者との関わりなど多岐へと目をやり可能な限り調べる。

彼女についてもおなじ。

12月末から3月頭。2ヶ月もの時間があれば曲を網羅することも上記のリサーチも容易かった。ご存知の通り、私はヒトミシリで、加えて高校生当時は小遣い制でバイトは出来ず、金銭的にもイベントに「行く」ということに対するハードルが極めて高かった。

そんな中を掻い潜り原動力とさせるまでの魅力があったと当時の私は判断したのであろう。

当日。
キャットミュージックカレッジ専門学校でのイベント。緊張しながら江坂駅の改札を出て向かう。心配性が祟って早く着きすぎてしまったが無事入場し、真ん中より少し前程の場所についた。

照明が落ち、青みを帯びた空間が冷たくなる。夢にまで見たような世界が目の前に映る。音源でいくら聴いたとてライブの様子が伝わらないのは当たり前の話。であるがその瞬間を刮目した気がした。

一瞬だった。それでいて充足感を得ずには居られないものであった。

この日はサイン会、ではなく撮影会だった。
今思えばなんということか、と思えるが初対面が撮影会なのである。話すだけでもままならないヒトミシリが撮影だなんて。ともはや怯える子猫のように列に並ぶ。

正直、この日話したことはハッキリとは覚えていない。初めてイベントに来た旨を伝えたくらいだった気がする。あとはひたすら浅いお辞儀をしていた、はず。(これは現在でも同じでサイン会の去り際にずっとヘコヘコしている)

「写真、目瞑ってないかな。」

と、現実的な心配を胸にステージを去った。

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