親父が小さく見えた時 2代目社長が1代目を超えた時

大きく見えた創業者の親父の背中

私にとって親父の背中は恐ろしく見え、ある意味頼もしくも見え、ある意味では自分がちっぽけに思えるほど、強靭に見えた。
私は彼を超えることが出来るのか? そう自問自答し悩んでいた時、どうしても強靭な大きな親父の背中がますます大きく見えていた。

同時に反射神経的に、私自身の頼りなさを思い知ることでもあった。
背は小さい親父であったが、その背中は私にとって恐怖だった。

先代社長が大した事がないと思えた時

そんな自分がちっぽけに思える心象風景が、いつからか変化していった。
親父の背中がとても小さく思えた時があった。
それは、いつも親父を前にすると萎縮していた心が解放された瞬間でもあった。
その時、私は初めて自分の足で人生を歩める事ができたと思う。

その自由と解放感!
私はそれを求めて、ずっと瞑想をやり自己啓発をやり、様々な悪戦苦闘をしてきたのだ。
今までの苦労が報われた瞬間だったと思う。
私がやってきたことの苦労が報われた時だった。

親父を超えたと思える瞬間

岩波先生の技術とコンサルティングのおかげでもあるが、岩波先生もある時、自分の強烈な個性を持つ父親が小さく見えたという。
息子は父親を超えなくてはいけない時があるのだ。

私が社長業についても、ずっと私は親父の精神的支配下、抑圧下にあった。
社長というものの名ばかりで、私自身の能力、人間力のなさが一層浮かび上がり、生きた心地なんてしなかった。

だが、岩波さんの脳覚醒技術経営者向けのコンサルティングを受けて、今までと違う風を感じ始めた。
プログラムを受け続け、心の抑圧、精神的枷を外し、プラス暗示を本能に叩きこむことができ、自分自身強くなった実感を少しずつ積み重ねていった時、こんなことが起きた。

私と親父は口論をした。
以前は口論などできなかった。
一方的な説教になっていただろう。

だが、風向きが変わった。
親父もまさかここで口答えを私がするとは思わなかったのだろう。
むっとしたような意外なようななんとも言えない表情をした後、飼い犬が反抗した時の飼い主のように、再び支配下に私をおこうと強圧的な態度をとってきた。

親父との対峙、私の中での勝利感

その殺気を感じるやいなや、今までの私はそれまでのシミュレーションなど吹っ飛び、萎縮してしまっていた。
そんな自分が嫌で後で死ぬほど後悔をし、自己卑下をするのであったが、私には芯の部分に確固たる強さを感じていた時だった。

ここで人生が変わる、変えてみせる! それがごく自然に、そして強く私の心を包んでくれた。
空回りしていない自分をはっきり悟ることができていた。
今まで感じたことがない充実感と覚悟と勇気に、私が一番意外に思いながらも、親父に言い返した。

おそらくただの暴発的反論ではなく、理路整然整った上で、言葉の力、説得力も乗っていたのだろう、親父は私の気迫?に飲まれてか、私を観察するような表情で、私の言い分を最後まで聞いていた。

その時、親父が私を認めたのかどうかは定かではないが、私は人生で初めて、親父を前にして、自分の言いたいことをと洗いざらい述べることができた。

それでも親父は頑固者だ。
やはり反論してきた。
否定的な言葉を猛然と浴びせてきた。

しかし、私はそれに萎縮することなく、私自身の考え、やりたいことを主体的に述べた。
気持ちを込めて、親父以上の胆力を持って。
それができたことに私自身がびっくりしたが、親父は私を試すかのように、再び反論してきた。

大きく見えている人物は、本当に実態以上に大きいのだろうか?

もしかしたら、私の変わりようを驚きつつも認めたのかもしれない。
とにかく親父の反論がガキっぽく、古臭いものだと私は感じた。
「ああ、親父も一皮むけば、小さいところもあるんだな」と感じた。

その時、今まで強靭強大にしか思えなかった親父の存在を小さく感じることができた。
その時の口論は結論が出なかったものの、私の変化を感じ取った親父は、それ以降、次第に口を挟まなくなった。


古参社員へも気持ちで上回れるようになる

この結果、私は最高に実のある自信を強さを身につけることができた。
親父の代からの古参社員に対しても、萎縮することはどんどん無くなっていった。
所詮は、といったら申し訳ないが、雇われた社員だ。
人事決定権は私にある。

いくら能力があろうが、経験が豊富だろうが、私は先頭で引っ張らなくてはいけない。
サラリーをもらう人間と責任を一身に引き受ける立場、そう考えると、全てが小さいことに思えるようになった。

私の責任感に比べたら、古参社員のそれとは比べ物にならない。
背負っているものが違う。
それに、私は「できる」力を持っている。
萎縮する必要なんてない。

強くそう信じられるようになった。
だましだまし自分に言い聞かせていたことが、心の底からそう思えるようになった。
親父への精神的従属から脱却できた。

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