曲は指揮者によって全く異なる
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「チャイコフスキー《悲愴》の第3楽章を3人の巨匠で比べてみた」という画像がある
『チャイコフスキー《悲愴》の第3楽章を3人の巨匠で比べてみた。//Symphony No. 6 (Tchaikovsky)』という動画があります。
小澤征爾さん、レナード・バーンスタインさん、ヘルベルト・フォン・カラヤンさんの指揮の比較です。
https://www.youtube.com/watch?v=oB-m0lY8C0c
ご存じだとは思いますが、小澤 征爾(おざわ せいじさん 1935年〈昭和10年〉9月1日 - )は、1973年からボストン交響楽団の音楽監督を30年ほど務め、2002年 - 2003年のシーズンから2009年 - 2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた、世界的な指揮者です。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ボストン交響楽団桂冠音楽監督、セイジ・オザワ 松本フェスティバル総監督、新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者 などを指揮してきました。
「インテンポ」な小澤征爾さん
小澤さんは楽譜第一主義なので、「何も足さない何も引かない」150くらいのインテンポで突き進むタイプです。
コントラバスとしてもし弾く立場でしたらこの御三方でしたら絶対小澤さんが良いですね。
何故なら急激にテンポを変えられたら対応できないからです。
自由にテンポを変えて情感を込めるバーンスタインさん
レナード・バーンスタイン (Leonard Bernstein、1918年8月25日 - 1990年10月14日)は、ユダヤ系アメリカ人の指揮者、作曲家であり、ピアニストとしても知られています。
アメリカが生んだ最初の国際的レベルの指揮者であり、ヘルベルト・フォン・カラヤンやゲオルク・ショルティらと並んで、20世紀後半のクラシック音楽界をリードしてきたスター音楽家でした。
レナード・バーンスタインの代表作は「キャンディード序曲」
レナード・バーンスタインの代表作は「キャンディード序曲」です。
有名なのはエイヴリー・フィッシャー・ホール(ニューヨーク・リンカーン・センター )におけるニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 創立150年コンサートからの「キャンディード序曲」なのですが、指揮者がいらっしゃいません。
何故「指揮者なし」なのか
何故指揮者なしなのかというと。これはニューヨーク・フィル150周年記念コンサートの冒頭の演奏で、「本来ならバーンスタインが自分で指揮するはずでしょう?」という団員の計らいからのもので、指揮者なしで演奏されたものです。
バーンスタインは1990年に72歳で亡くなりました。
6:10から重たい行進曲のような第3楽章
バーンスタインは最初160くらいのテンポでスタート、6:10から(この曲のサビのようなところ)で、ぐっとテンポを130に遅くしています。
従い、「重厚な行進曲」のようになっています。
しかし、6:53からまた160ぐらいにテンポを戻しています。
短い間にテンポが30違うのです。
これはこれでオーケストラが崩壊する可能性があるので演奏者からして見れば、怖い指揮です。
オーケストラのPVを作ったヘルベルト・フォン・カラヤン
7:56からカラヤンですが、先ず「はっや」と感じるでしょう。
170程度のテンポ感で(「メトロノーム練習用170」という神動画がありました)、ずっと駆け抜けます。逆にテンポが変更されない。
弦楽器も管楽器も大変です。
作者はカラヤンの指揮でコントラバスをやってみたのですが、早過ぎて弾けておりません。
オーケストラのMVを作ったヘルベルト・フォン・カラヤン
しかし「視聴者」としては「カラヤン」が圧倒的に1位です。
何故ならカッコいいから。
映像も大分通常のオーケストラ演奏と異なります。
どのシーンもドアップですし、すぐに管楽器→弦楽器→全体に映像が切り替わるので、ここでカメラが3台以上あることに気が付きます。
実は公演の映像ではなく、MVなのです。しかも、わざわざお客様を呼んで録画しています。
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団で行った、「ピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)」も大変素晴らしいです。
ピアノはアレクシス・ワイセンベルクが弾いています。ずっと目を瞑った指揮法が印象的です。
常に命懸けで指揮をしていた
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, ドイツ語: [ˈhɛɐbɛɐt fɔn ˈkaraˌjan( 1908年4月5日 - 1989年7月16日)は、オーストリア=ハンガリー帝国、ザルツブルク公国(英語版)ザルツブルク生まれの指揮者で、1955年より1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務め、一時期それと同時にウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督などのクラシック音楽界の主要ポストを独占し、多大な影響力を持つに至りました。
カラヤンは指揮者の職業病とも言える脊椎の持病に悩まされ続け、生涯に12回もの大手術を受けました。
1978年には脳梗塞に見舞われ(『家庭交響曲』のリハーサル中、落とした指揮棒を取ろうとしたのが発作のきっかけであった)、その際指揮台に腰を強打したことなども追い討ちをかけて、最晩年は歩行も厳しいほど身体のコントロールを失うことになったのです。
他の御二方もそうですが、常に命懸けで指揮をしていたのでしょう。
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