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【小説】『恩送り〜pay forward』

【恩送り〜pay forward】

人は、生きていると色々な人達から良くしてもらうことがある。

それは、無償の行為である。

例えば、親が子供にする行為は無償の愛である。

親の愛は、見返りを期待した行為でない。

そして、この無償の愛の行動は、親だけではない。

振り返ると僕は、大学、大学院と指導して頂いた恩師達から学恩を受けた。

大学時代の恩師にはご自宅に何度も呼んで頂き、論文指導をしてもらったり研究会に参加させて頂いた。

また、僕が本を書いて出版する時も先輩から無償で編集者や出版社をご紹介して頂いた。

そして、僕が出版した後や僕の事務所開設10周年の時も記念の会を先輩が君も花火を打ち上げないといけないんだと言って率先して世話人代表になって開催してくれた。

このように僕にお世話をしてくれた人達は、もうお亡くなりになってこの世にいない。

僕は、この人達に恩返しがもう出来ない。

だから僕は、今まで色々な人達から受けた御恩を他の人達に御恩返したいと思っている。

他の人に恩を返す。

つまり、それは他の人に親切にする、良いことをすると言う事に言い換えれるだろう。

その恩の形は、有形、無形どちらでもある。

例えば、無形なら心に寄り添い、励ましたり、助けたりと言うことがあたるだろう。

有形なら物やお金をその人のために使うこともあるだろう。

学恩を返す事は、大きな意味では世の中のためになる研究、社会貢献や人類に貢献する研究をすることであったりする。

また、教員となって学生に教えることも学恩に報いることになる。

自分が知り得た知識や情報を他の人に提供することも人のお役に立つだろう。

仕事では自分自身の技術や能力を高め、より高度で質を高め、お客様に提供することも恩送りになるだろう。

ミュージシャンなら良い音楽を作ったり、演奏したり、唄ったりすることも他の人を喜ばすことになる。

別に大きなことをすることだけが恩送りではない。

目の前の小さなことでも恩送りはある。

お年寄りや体の不自由な人、妊婦さんなどに席を譲ることも恩送りになる。

道端のゴミを拾うことも社会に役立つ。

財団を作って後進を育成したり、世の中の役に立つ人達をサポートしたりすることも社会貢献になるだろう。

自分の収入の一部を寄付することで他の人達のお役に立つなら寄付も良いだろう。

自分が他の人達から良くしてもらったことを当たり前やラッキーと思わず、してくれてありがとうと感謝の気持ちを持つことが、他の人達への恩送りに繋がる。

自分がしてもらったことは、ギフトであり、贈り物としてありがたく受け取り、他の人達に自分自身も贈り物をする。

そのギフトは、幸せを繋ぎ、プラスの効果として波及していく。

それは、まさにプラスのスパイラルだ。

幸せの循環の輪を大きく広げて行くと幸せになる人が増えてくる。

すると、いずれまた自分自身も他の人から恩送りをしてもらえる。

「情けは人の為ならず、自分のためとなる」

諺にもある。

古(いにしえ)から人間は、そのことを知っていた。

人とのご縁は奇跡である。

だから、僕はご縁を大切にしたい。

同じ地域に住んでいても一生会うこともない人もいる。

それに反して、外国で出会って共に時間を共有する人もいる。

同じ時代に生きていること自体が奇跡であり、生きている時代が違っていたら決して会うことはない。

本当に人とのご縁は奇跡である。

ご縁とは、人とのご縁だけではない。

本との出会いもあれば、映画や絵画、音楽、車や洋服、ペンやパソコン、自分の身の回りの物全てとがご縁である。

ペットとの出会いもある。

日本語には自分がいつも気に入って使っている物に愛用品と言う言葉がある。

愛と言う字を使っている。

特に、車やバイクには愛車と言う言葉を使う。

どこに行くにも愛車で出掛け、嬉しい時も悲しい時も辛い時もいつも愛車が共にいる。

愛車と思い出を共有している。

不思議と洗車をしたり、エンジンオイルを交換したりと車をメンテナンスすると走りが良い様に感じる。

車内を綺麗に掃除をすると車が若返った様に感じる。

本当に不思議である。

きっと物にも心があり、こちらが大切に思っている事が伝わるのだろうと思う。

自分が愛用している物に名前をつけている人も多くいる。

名前を呼ぶのは一つの愛情の証なのだろう。

当然、ペットには名前を付ける。

ペットは、もはや家族であるから当たり前のことだろうが。

花や観葉植物等の植物も名前を付けて呼ぶと育ちが良いと言う。

名前ってその人を現すアイデンティティだから、物にも名前を付けると固有の存在としてアイデンティティを持つことになる。

つまり、そこにあると自己の存在を現すことになる。

そのことが物に命を吹き込むことになるのだろう。

人は、自分一人では限界がある。

人は、肉体的にも物理的に限界がある。

だから、道具や物を使って自分の力以上の力を発揮させる。

または、人の助けを得て、自分一人では出来ない事を助けてもらう。

人は、生きていると誰かの助けを受け、何か物の便利さの恩恵を受けている。

その恩恵に気付き、感謝する事で利他の心で自分自身も他の人に接する事が出来るのだろう。

相手の気持ちに寄り添う。

相手の気持ちになって考えてみる。

そうすると、視野が広がり、どの様に行動すれば良いのかと発想が膨らんでくる。

そこに自分自身の成長が伴い、またそのことで人から恩恵を得る事になる。

その人の存在が、自分自身に学びを与え、成長させてくれているのだ。

だから、人は、毎日毎日、成長しているのである。

些細な日常の中にも学びはある。

例えば、ラジオからの言葉であったり、映画の中の一つの台詞や本の中の一文であったりする。

本は、著者との一対一の対話である。

本は、著者の思いやメッセージ、思考がいっぱい詰まっている。

専門書なら著者が、何年も掛けて研究した成果が一冊にまとめられている。

本は、知識の宝庫だ。色々な情報が本から発しられている。

だから、僕達は本から様々なヒントやアイデアを受け取れる。

それは、あたかも著者と対話をしているようなものだ。

本からの一文が、人生を変えてくれることもある。

実は、僕達は本のタイトルや目次、本文を見て、今の自分に必要なのかを瞬時にチェックし、判断している。

僕達は、無意識に今自分が何を必要としているのかを知っている。

潜在意識が呼応し、今の自分に必要な本を引き寄せている。

パッと目が行く、呼ばれたようにその本の前に行く、こんな体験を僕は何度もした。

だから、僕達はいつもなりたい自分をイメージし、その姿が実現した感覚を創造し、疑似体験をし、ワクワクしてみることが大切だと僕は思う。

本は、著者の叡智がいっぱい詰まっている。だから、本を読む事は著者から恩受けたことになる。

自分が上手くいったことを他の人に教えると、それは恩送りになる。

人から人へと優しさや思いやりのバトンを繋いでいく。

喜びを自分だけに留めておくのではなく、他の人にもお裾分けする。

恩送りをして喜んでくれる姿を見ると、こっちまで無性に嬉しくなる。

思わず笑顔になる。

もし困った時に助けてもらったら、他の人が困っている時に自分も手助けをしよう。

僕は、そう思っている。

恩送りには、送ってくれた人の優しさや思いがいっぱい入っているのだから。

その気持ちに素直に感謝し、自分も他の人に恩送りをする。

なにか困ったことを体験した人は、困った人の気持ちが分かる。

そして、困ったことを体験して今がある人は、困ったことを乗り越えたパワーを持っている。

僕は、阪神淡路大震災を体験した。昨日までの当たり前の生活が、一瞬にして当たり前でなくなった。

電気がつくこと、水道が出ること、ガスがつくこと、スーパーに行けばものが買えること、バスや電車に乗って行きたいところに行くこと、そんな当たり前だと思っていたことがもう当たり前ではなくなった。

その時に僕たちは、ご近所さん達や地域で助け合ったり、遠方の親戚や友達、知人、ボランティアの人達に助けてもらった。

本当に困ると何をしたら良いのかと途方に暮れる。ただ呆然とそこに立ち尽くしてしまう。

そんな時に誰かに助けてもらうとすごく嬉しい。

あの時、助けてもらった事は一生忘れない。

助けてもらう人の気持ちがわかる。

助けてもらうことに遠慮はいらない。

素直に援助を受け入れたらいい。

そして、自助努力で立ち上がるきっかけにすればいい。

僕は、亡くなったおじいちゃんから教えてもらったことがある。

おじいちゃんは、僕に言った。

「人は、一生貧乏すると願掛けしている訳ではない。もし上手くいかない時があっても卑下せず、前を向いて立ち上がって進んでいけばいいんだよ。」

「上手くいけばおごる事なく謙虚にすればいい。」

「上手くいっていない人を見ても、ただ今が上手くいってないだけなんだ。その一瞬だけを見て人を判断してはいけないよ。」

「それよりも、上手くいくように手助けしてやれば良い。」

「そうだよね、おじいちゃん。人生色々あるもんね。その時だけを見たらだめだよね。」と僕は、おじいちゃんに言った。

「そうなんだ。良い時もあれば、良くない時もある。人生は山あり谷ありで丁度帳尻が合うものになってるんだよ。」

「人生はトントンなのさ。」とおじいちゃんは僕に言った。

「そして、人には優しく接しないといけないよ。」とおじいちゃんは優しく微笑みながら僕に言った。

「北風と太陽なら太陽になればいいんだよ。」とおじちゃんは、僕に言ってくれた。

暖かい太陽の光が体を温めて、そして心まで暖かくしてくれる。

特に寒い日の暖かい光は、僕達に生きる力を与えてくれる。

今、僕のいる部屋に暖かい太陽の光がそっと差し込んでいる。

僕は今、おじいちゃんのことを思い出し、温かい気持ちになっている。太陽の暖かい光を感じながら。

僕は、太陽のように生きていこうと心に誓った。

そして、僕は多くの人に恩返ししていこうと思った。そう恩送りである。

みんなが、プラスのスパイラルを回し、みんなハッピーになればいいと僕は思っている。

そんな世界がきっと来ると僕は信じている。

そうPay forward. 恩送りで。


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