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四月ばかの場所20 浮気

あらすじ:2007年。キャバクラで働く作家志望の早季は、皮肉屋の男友達「四月ばか」と一年間限定のルームシェアをしている。社会のどこにも居場所を感じられない早季は、定住しない四月ばかの生き方をロールモデルとしていた。ある日トリモトさんという変わった男性と知り合い、急速に惹かれていく。

※前話まではこちらから読めます。

その日、夕方から出かけた四月ばかは日付が変わってから帰宅した。日曜の夜に遅くなるのは珍しい。あたしはリビングでDVDを観ていた。

四月ばかが通りすぎたとき、ふわっと彼以外の人間の匂いがした。

「ねぇ、女の子といた?」

キッチンで立ったまま水を飲む四月ばかに声をかける。

「なんでわかんの」
「なんとなく」
「すげぇな」
「ねぇ、紅茶淹れてよ」

ただ女の子と飲んできただけじゃないだろう。なんとなく、そんな気がした。

「浮気しちゃダメだよ」
「何、お前、俺の彼女?」
「違う。あたしはいいけど、芙美子さんが可哀想じゃない」

芙美子さんはある程度、奔放な人なのだろう。じゃなければ、婚約中の四月ばかとあたしのルームシェアを許すはずがない。四月ばかと寝たことはないけど、あたしだって一応女なのだから。

四月ばかがあたしの向かい側に腰を降ろす。元気がない。そういえば最近ずっとテンションが低かったかもしれない。自分のうつでいっぱいいっぱいで、四月ばかのことを気にかけていなかった。

「部屋行ったんだけど、いざとなると芙美子の顔が浮かんでできなかった」
「いざってどこ。キスまで?」
「いや、もうちょっと」

いざというときに彼女を思い出して思いとどまったことを誠実と褒めるべきか、他の女といざというところまでいったことを責めるべきか。あたしは彼女じゃないからどっちでもいいや、と思う。

「芙美子に悪いからとかじゃなくて、絶対したあと虚しくなるなって思ったら、怖くなって」
「虚しくなるって、罪悪感?」
「いや、そうじゃなくて。なんか、やったあとって虚しくなるじゃん」

ああ、なるね。やった後っていうか、あたしはしてる途中からすでになるね。無性に虚しく。と、倒置法で思う。

「好きじゃない相手だったらその虚しさが八割り増しなんだよ」

わかる気がする。あたしは好きじゃない相手とするほうが多いから、そんな感覚も忘れていた。

「八割り増しの虚しさ想像すると怖くてできなかった」

やかんが鳴り、四月ばかが立ち上がる。あたしは、セックスの後の虚しさとタンポンを抜くときの虚しさが似ていることについて、思いをめぐらせていた。

「今までにもそういうことあったの?」
「何回か」
「彼女以外とした?」
「いいや」

四月ばかが紅茶を持ってきた。香りと色と味を褒めたら、少し元気になった。

三回目のデートはトリモトさんから誘ってきた。メールで豪さんの店のことを話すと「連れて行って欲しい」と言ってきたのだ。

吉祥寺駅で待ち合わせ、まずは駅の近くの創作イタリアンの店で夕飯を食べる。

映画の話になり、トリモトさんは「ミニシアター系のマニアックな映画ばっかり評価して『ハリウッド映画は観ない』ゆうてるような奴が嫌いなんすわ」と言った。

「大衆的なものにもマイナーなものにも、いいものもあれば出来の悪いものもあるやろ」

あたしも力いっぱい賛同する。

そのあとで、豪さんのお店に行った。常連のほっしーとクロケンもいる。

豪さんはあたしの顔を見るなり「有田、元気にしてる?」聞いた。

「元気にしてるよ。こないだまでちょっと元気なかったけど」

椅子に座ると、豪さんがトリモトさんに「こんばんは」と微笑みかけた。トリモトさんは小さく会釈をする。たっぷり迷ってから小声で「しそ焼酎お湯割りで」と言った。

クロケンが「早季ちゃんの彼氏ー?」と笑いながら聞いてくる。「そんなわけないよね」というニュアンスを多分に含んだ物言いに、あたしはクロケンをにらみつける。

豪さんが「先週だったかな、有田来たんだけど元気なかったから心配してたんだよ」と言う。

「なんか言ってた?」
「何も」

トリモトさんが「友達?」と聞く。会話に出てくる「有田」のことだ。

「うん。同居人」
「ああ、『四月ばか』?」

あたしは慌てて唇に人差し指をあてる。その呼び方は私の心の中だけのもので、本人にも誰にも言っていない。トリモトさんにだけ、話したのだ。

ほっしーが「有田の野郎、彼女が恋しいんじゃないの。この前べろんべろんになるまで飲んでたよ」と言う。

「え、同居人って男なん?」

トリモトさんが驚いたように言う。あたしも驚く。

「え、女だと思ってたんですか?」

あたしはずっと、トリモトさんが四月ばかの性別を知っている前提でいた。

どうだろう。異性の友人とのルームシェアに、トリモトさんは偏見を持つだろうか?

豪さんとクロケンとほっしーは、四月ばかの話から彼の親友の安吾の話になり、「安吾の叔父さんがUFOに連れ去られたことがあるらしい」という話になり、矢追純一の話を始めた。あたしとトリモトさんは矢追の話には参加せず(しかし否応なしに耳には入ってくる)、ふたりで飲んだ。

「この前店行ったとき言うの忘れてたんやけど、小説、読んだわ」

あたしが書いた小説だろう。

「どうでした?」
「すごいなぁ。なんか、悔しくなったわ」

トリモトさんは本当に悔しそうだ。

「月並みやけど、作品で自分を表現できるってすごいわ。俺も何か創ってみたいって思った」

「何か創ってみればいいじゃないですか」
「そうやね」

矢追の話はいつの間にか真下このみのCMの話になっている。

うつむいたトリモトさんの顔を眺める。お世辞にもかっこいいとは言えない。むしろブサイク。人によっては「キモい」とまで言うかもしれない。ほんと、恋ってなんだろう。

それから好きな本の話になり、うつの話になり、お互いの昔の恋の話になり、四月ばかの話になり、トリモトさんの会社の社長(先輩)の話になった。トリモトさんは相変わらず先輩に対して屈託を抱えていた。

恋とはきっとフィルターだ。

三杯目のシークワーサーサワーを飲みながら、ふと思う。

恋というフィルターを通して見るから、ちっともかっこよくないこの人が愛しく見える。

このフィルターはいつか外れる日が来るだろう。そのときはきっと、それこそ目から鱗が落ちたように、「なんであたしはこの人が好きだったんだろう?」と思うに違いない。




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